鎮台

鎮台(ちんだい、鎭臺[1])は、1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。

概要

略史

  • 明治12年(1879年)9月 - 鎮台司令長官の呼称を鎮台司令官に変更。
  • 明治21年(1888年5月12日 - 鎮台を廃し、師団に改組。
旧暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使用された。

歴史

明治新政府の重要な課題として、近代の中央集権制度にもとづく兵力軍備の統制と編成があった。そのさい全国統一的な常備軍の編成にさいして幕藩体制下での藩兵・旧武士団の解体、および新たな編成の手続きが課題であった[3]。最初の画期は1871年2月に正式に編成された御親兵であり、鹿児島・山口・高知からなる御親兵の編成費用は宮内省の定額金を割いて兵部省に下付され成立した。一方で地方では旧来の藩が兵力を確保・統括しており、地方の兵力運用に際しては特定近隣の藩に兵力を派遣(出張)させるよう通達を出しており、その派遣費用は藩費で負担させるという兵力編成の思想でなされていた。1871年4月に出された東山道と西海道の二鎮台設置の布告はこのようなものであり、当初は鎮台の内部組織や指揮統括関係など規定されず、出先機関の性格が強く兵力編成の統一性や鎮台自体の常設化の計画もみられなかった[4]

まず、太政官が将来全国に鎮台を置くことを明らかにした上で、1871年6月10日明治4年4月23日)に現在の東北地方東山道鎮台(本営石巻、分営福島盛岡)、現在の九州地方西海道鎮台(本営小倉、分営博多日田)の2鎮台を設置することを布告した[2]。しかし、実際に部隊編成を行ったのは西海道鎮台のみであった[2]。同年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により全国が明治政府の直轄となったが、同時に兵部省職員令が出され、北海道・石巻・東京大阪・小倉の5鎮台制の構想が示された[2]。しかし、他の地方と比べ人口が極端に少ない北海道では鎮台の設置が後回しとなった。結果、同年10月4日(明治4年8月20日)に旧2鎮台を廃止し、東北鎮台仙台)、東京鎮台大阪鎮台鎮西鎮台熊本)の4鎮台が設置された[2]。このときの鎮台は、御親兵から転じた者と、士族からの志願者で編成された。残る各藩常備兵は武装解除されることになる[2]

1873年に2つの鎮台が増設され、北海道を除く地域を、6軍管、14師管に分けた。軍管には鎮台、師管には営所が置かれた。新たに設けられたのは名古屋鎮台と広島鎮台で、大阪鎮台から北陸地方名古屋鎮台に、中国・四国地方広島鎮台にそれぞれ移管された。また、東北鎮台仙台鎮台に、鎮西鎮台熊本鎮台にと、都市名を冠する名に改めた。北海道には鎮台がなく、かわりに屯田兵が置かれた。

1873年徴兵令施行とともに、徴集された兵士が鎮台に入隊するようになった。この徴兵に対し、従来からの士族志願者の兵を壮兵と呼んで区別した。壮兵の比率はしだいに低下したが、鎮台の定員充足は容易ではなく、士族中心の軍隊から急激に変化したわけではない。鎮台時代最大の戦争だった西南戦争では、正規の鎮台兵に加えて近衛兵屯田兵警視隊、追加募集の兵が士族出身兵として加わり、あわせて士族が官軍将兵の半数を占めた。

明治6年7月当時の軍管・営所(歩兵連隊は翌年以降に編成)
軍管・鎮台営所歩兵連隊
第1軍管東京鎮台東京歩兵第1連隊
佐倉歩兵第2連隊
新潟歩兵第3連隊
第2軍管仙台鎮台仙台歩兵第4連隊
青森歩兵第5連隊
第3軍管名古屋鎮台名古屋歩兵第6連隊
金沢歩兵第7連隊
第4軍管大阪鎮台大阪歩兵第8連隊
大津歩兵第9連隊
姫路歩兵第10連隊
第5軍管広島鎮台広島歩兵第11連隊
丸亀歩兵第12連隊
第6軍管熊本鎮台熊本歩兵第13連隊
小倉歩兵第14連隊


戦時の役割
  • 明治11年12月10日
    • 監軍部長(東部・中部・西部) - 戦時には師団司令長官。
    • 鎮台司令長官 - 戦時には旅団司令長官。
  • 明治18年5月18日
    • 監軍部長 - 軍団長
    • 鎮台司令官 - 師団長。
  • 明治19年
    • 監軍が廃止される。
明治21年5月師団に改組
鎮台 → 師団歩兵旅団衛戍地歩兵連隊衛戍地
東京鎮台
 ↓
第1師団
第1師管
歩兵第1旅団 東京歩兵第1連隊東京
歩兵第15連隊高崎
歩兵第2旅団 佐倉歩兵第2連隊佐倉
歩兵第3連隊東京
仙台鎮台
 ↓
第2師団
第2師管
歩兵第3旅団 仙台歩兵第4連隊仙台
歩兵第16連隊新発田
歩兵第4旅団 青森歩兵第5連隊青森
歩兵第17連隊仙台
名古屋鎮台
 ↓
第3師団
第3師管
歩兵第5旅団 名古屋歩兵第6連隊名古屋
歩兵第18連隊豊橋
歩兵第6旅団 金沢歩兵第7連隊金沢
歩兵第19連隊名古屋
大阪鎮台
 ↓
第4師団
第4師管
歩兵第7旅団 大阪歩兵第8連隊大阪
歩兵第9連隊大津
歩兵第8旅団 姫路歩兵第10連隊姫路
歩兵第20連隊大阪
広島鎮台
 ↓
第5師団
第5師管
歩兵第9旅団 広島歩兵第11連隊広島
歩兵第21連隊広島
歩兵第10旅団 松山歩兵第12連隊丸亀
歩兵第22連隊松山
熊本鎮台
 ↓
第6師団
第6師管
歩兵第11旅団 熊本歩兵第13連隊熊本
歩兵第23連隊熊本
歩兵第12旅団 小倉歩兵第14連隊小倉
歩兵第24連隊福岡

脚注

  1. 大蔵省印刷局『鎭臺條例改正』日本マイクロ写真、東京、1885年5月18日。doi:10.11501/29437692020年12月12日閲覧。
  2. 『新修 大津市史』5 近代 第1章 近代大津の出発京都大学人文科学研究所元教授 古屋哲夫著 1982年7月)
  3. 遠藤芳信「日露戦争前における戦時編成と陸軍動員計画思想」(北海道教育大学紀要2004.2)
  4. 遠藤芳信2004.2、PDF-p.4

関連項目

参考文献

  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
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