鈴木秀雄

鈴木 秀雄(すずき ひでお、1917年6月4日 - 2015年8月21日[1])は、大蔵官僚

来歴・人物

父・鈴木商店(味の素の前身)第2代社長鈴木忠治と母マスの七男として神奈川県三浦郡葉山村に生まれる。

入省後まもなく海軍に入隊。終戦時、海軍少佐だったためB級戦犯容疑者として逮捕された。裁判では検事から死刑を求刑され、禁固15年の判決が下る。長い拘禁状態の後、サンフランシスコ講和条約の直前に仮釈放された。この間に公職追放も受けた[2]

釈放後は大蔵省に復職。理財局課長などを経て国際金融畑に転じ、ニューヨーク領事(大蔵省ニューヨーク事務所代表)、国際金融局長を務める。ニクソン・ショック時にはIMF世界銀行理事として後輩の柏木雄介(大蔵省顧問)にアドバイスを与えた。

兄弟には、長兄・鈴木三千代(三楽オーシャン(後のメルシャン)会長)、次兄・鈴木松雄昭和電線電纜社長)、三男・鈴木竹雄東京大学名誉教授)、四男・鈴木義雄通商産業省重工業局長日揮社長)、五男・鈴木治雄昭和電工社長)、六男・鈴木正雄三菱重工業副社長)、八男・鈴木泰雄多摩電気工業会長)がいる。東大在学中には兄・竹雄が教えたこともある。竹雄の恩師田中耕太郎は秀雄が優秀なので、大学に残してはどうかと言ったという。

略歴

学歴

職歴

参考文献

  • 塩田潮『霞ヶ関が震えた日』(講談社文庫、1993年)

脚注

  1. 鈴木秀雄氏が死去 元大蔵省(現財務省)国際金融局長 日本経済新聞 2015年9月1日
  2. 公職追放の該当事項は「戦犯容疑元大蔵事務官」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、599頁。NDLJP:1276156
  3. 『大蔵省人名録:明治. 大正. 昭和』大蔵財務協会、1973年、94項
  4. 『大蔵省人名録:明治. 大正. 昭和』大蔵財務協会、1973年、94項
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