遷都

遷都(せんと)は、[1](みやこ)を他所へうつす(す)こと[2]、都を替えること[2]を意味する漢字文化圏の語。日本語では古くは都遷り[3]/都移り[3](みやこうつり)とも言った[2]。反対に、かつて都であった場所に都を戻す(す)ことは還都(かんと)と言い[3]cf. #還都の一覧)、日本語では古くは都還り(みやこがえり)とも言った。ただし、日本語に限っては、還都遷都同義で用いられる[3]こともある。現代では、首都機能の全部もしくは重要な一部を他に遷すことを指して首都機能移転という語も用いられる(後述)。

関連語

新しい都は新都(しんと)[3][4]、過去の都(一代前の都やそれ以前の都)は旧都(きゅうと)と言う[3][4]旧都は「古い都」を意味する古都/故都(こと)と類義ではあるが[3][4]、強調点はそれぞれに異なり、前者は「過去」を、後者は「時の積み重ね」を含意する。廃された都(廃される都も同じく)、および、廃墟と化した都は、廃都(はいと)と言う[5]

都をさだめる(める、定める)こと[3][4]、都を建設すること[3]は、初であるか以前がどうであったかとは別義に、奠都(てんと)と言う[3][4]。都を定めることは定都(ていと)とも言う[6](用例:北京定都[5])が、鴨長明が『方丈記』のなかで「嵯峨の御時 都定まりける(解釈:〈平安京に遷都した桓武天皇より2代後の〉嵯峨天皇治世下のこの時〈すなわち、平城還都派最後の抵抗を制圧した薬子の変の事後〉になって都は定まった。cf. #平城還都の詔)」と述べているように、法的に都が決められたり遷されたりした後も都づくりは続けられ、都として政治的に安定を見たときにようやく「都が定まる」という概念でもってこの語が用いられることもある[6]。都を建設する、そのこと自体は建都(けんと)と言う[3][5]が、「時と人が都を育んでゆく」などといった抽象的な意味を含めて「都を形づくってゆくこと」を指す場合もある(用例:平安建都1200年)[6]

遷都の類型

遷都や首都移転の例としては、主として以下のパターンがある。

  • 政権の交代に伴い、新政権が最適地と判じる他所へ移転する。
実例 :歴代の皇居所在地が都と見なされる日本の遷都史(cf. 歴代の皇宮)。
  • 旧来の都にあっては影響を受けざるを得ない抵抗勢力や敵性勢力から遠ざかり、権勢的白紙状態にある新都の運営を図る。
実例 :エジプト新王国において、アメンホテプ4世によるアマルナ改革の一環として断行された旧都ネウト(テーベ)の廃棄と新都アケトアテン(アマルナ)への遷都。日本において、既存仏教勢力や貴族勢力と距離を置きたい桓武天皇による平城京から長岡京への遷都。
  • 実権を持つ政権が傀儡政権の都を廃して他所へ移転させる。
実例 :後漢末における、董卓による洛陽から長安への強制的遷都。
  • 政治情勢や経済状況の変化によって最適地が他所に移った場合、移転する、あるいは、移転を余儀なくされる。
  • 領土の縮小や移動に伴う遷都もその典型例と言える。戦線の移動による占領地域の変化によって移転する場合、その多くは敗戦によって強いられたものである。
実例 :金王朝にいったん滅ぼされた後、翌年に再興した宋王朝における、占領されてしまった旧都・東京開封府(開封)から臨安への遷都(南遷)。中華民国(現在の台湾)の遷都史。
  • 国家の分裂による、他所での奠都
実例 :395年以降にローマ帝国が東西分裂することで興った東ローマ帝国(ローマ帝国東方領土)における、ローマからコンスタンティノポリスへの遷都。
実例 :アッバース朝における、クーファから計画都市バグダードへの遷都。日本における、平城京平安京等への遷都。アメリカ合衆国における、フィラデルフィアから計画都市ワシントンD.C.への遷都。ブラジル(ブラジル連邦共和国)における、リオデジャネイロから計画都市ブラジリアへの遷都。
  • 諸事情によって都の機能が低下したことによる遷都もある。
実例 :日本における、長岡京から平安京への遷都(cf. #怨霊に潰された都)。
  • 前政権の業績を、廃都という形で強く否定する、あるいは、歴史から抹消しようと図る。
実例 :アメンホテプ4世没後のエジプト新王国における、アケトアテン(アマルナ)の廃都とメン・ネフェル(メンフィスへの遷都。董卓没後の後漢における、長安から洛陽への還都
  • 戦局の変化が著しい場合や、亡命政権内戦の敗北を認めようとしない場合、臨時首都あるいは軍都のような体裁をとり、正式な首都移転を行わない場合がある。
実例 :中華民国(現在の台湾)における、臨時首都である台北と、現在も正式な首都とされる南京
  • 複都制の採用や廃止に伴う部分的首都機能移転。
実例 :1153年セルジューク朝における複都制の廃止と、それに伴うハマダーンへの首都機能の集約。

還都の一覧

本節における記載上の規則
※各国の記載位置は建国年を基準にしている[7]。ただし例外として、日本記紀に著された神話的な紀元前660年ではなく、実在が確かめられている雄略天皇の即位年(456年)とする。
ローマ帝国のように、国によっては前身となった国家の首都も記載するが、その場合は、隅付き括弧【 】と矢印 → 、および、直前もしくは直後の1角空けによって明示する。
※現存する国家は現在使われている国旗を表示する。
20世紀以降に行われた遷都や首都機能移転は、移転先の都市名を太字で強調する。
※時期を示す表現として「(人物名)即位期」などとあるが、これは「その人物の即位時、もしくは、さほど間を空けないその後のいつか」という含意がある。
※首都は常に途切れなく存在するわけではなく、いったん滅亡した国家や首都を失った国家が数カ月後・数年後に復興するなど、首都の存在が中断している場合もある(実例:5年間滅亡状態にあった漢王朝。年が変わるまで滅亡していた晋王朝。翌年の6月まで滅亡状態にあった宋王朝)。つまり、「A市(1000-1100年) → B市(1101-1200年)」などというケースもあるので、遷都された時期に途切れがなくても「A市(1000-1100年) → B市( -1200年)」などと省略はせず、「A市(1000-1100年) → B市(1100-1200年)」と表記している。
※同等の首都が同時に複数存在する時代がある場合、その状態にあった期間を「A市・B市両都(1000–1100年)」という形で表す(実例:セルジューク朝ポーランド・リトアニア共和国)。
  • 266年には武昌から建業へ還都。

長距離の首都移転としては、ポルトガル王国が行政首都(宮廷)をリスボンから大西洋を渡ったブラジルリオデジャネイロへ移転させた1808年の例と、その後、リオデジャネイロからリスボンに帰還した1821年の例がある(cf. #ポルトガル王国)。

紀元前11世紀以前

紀元前11世紀以前に興った著名な国家における首都の変遷。

紀元前31世紀
紀元前21世紀
紀元前20世紀
紀元前16世紀
紀元前11世紀
古代ローマの歴代首都
コンスタンティノポリス東ローマ帝国時代の繫栄を描いた想像画。
ニカイアニカイア帝国の都であった頃より2世紀半後に編まれた『ニュルンベルク年代記』の木版画挿絵
メディオラヌム(現・ミラノ)/ただし、西ローマ帝国の都であった頃より11世紀後に編まれた『ニュルンベルク年代記』の木版画挿絵。
ラヴェンナ/ただし、写真の建物は15世紀頃に建造された旧ヴェネツィアーノ宮殿。

紀元前10世紀〜紀元

紀元前10世紀からキリスト紀元までに興った著名な国家における首都の変遷。

紀元前8世紀
紀元前3世紀
紀元前1世紀

1〜4世紀

キリスト紀元から5世紀の終わりまでに興った著名な国家における首都の変遷。以下同様。

3世紀
4世紀

5世紀

5世紀
[解説] 安康天皇3年(456年)に即位した雄略天皇の宮城である泊瀬朝倉宮を最初の首都と見なし、その後の宮城の変遷史については「日本の首都#宮城の変遷」で示す。
歴代の宮城の中で歴史的にとりわけ重要なものは飛鳥京(表にある板蓋宮川原宮飛鳥浄御原宮等を含むこの時代の首都圏区域を指す)・平城京平安京東京であり、係る変遷史は以下のとおりである。本項の「#日本における遷都」も併せて参照のこと。

6〜10世紀

7世紀
8世紀
9世紀
10世紀

11〜15世紀

11世紀
12世紀
13世紀
14世紀
15世紀

16〜20世紀

16世紀
17世紀
18世紀
19世紀
20世紀

21世紀

日本における遷都

現代の日本では、「遷都」は、「首都の移転」や「政府の場所をうつす」や「国会が開催される場所を移す」などの意味で使われることがある。ただし、日本の歴史上の「都」がそのまま、現代の「首都」と同義であるかについては議論もある。

日本遷都史

  • 飛鳥時代

日本書紀』によれば大化元年(645年)6月、中大兄皇子らが政変を起こし、新たな政治体制が構築された(乙巳の変)。新政府は同年12月9日に難波長柄豊碕宮に遷都を行い、翌大化2年(646年)元日、孝徳天皇改新の詔を発しその第2条で「初修京師」と初めて首都を定め、難波長柄豊碕宮を首都とした。

斉明天皇元年(655年)1月、斉明天皇は難波長柄豊碕宮遷都以前の宮である板蓋宮で即位、都は飛鳥に戻った[10]。その後、同年冬には川原宮に、翌斉明天皇2年(656年)には後飛鳥岡本宮と飛鳥の中で首都が営まれた[11]。天智天皇は白村江の戦い敗北後の天智天皇6年(667年)、内陸部の近江大津宮に遷都を行ったが、壬申の乱の後の天武天皇元年(672年)、飛鳥浄御原宮に遷都。都は再び飛鳥に戻った[12]

天武天皇12年(683年)12月17日、天武天皇は「複都制の詔」を発した。まず難波長柄豊碕宮廃絶後も外交拠点として存続していた難波宮を副都とし、更に畿内信濃国に副都を設けるために使節を派遣した[13]。しかし畿内と信濃への副都設置は実施されることなく終わった。

藤原京遷都は難産だった。『日本書紀』の藤原京遷都に関する最初の記述は天武天皇5年(676年)の「新城」建設に関するものである[14]。その後、遷都計画は中断と再開を重ねた後[15]、持統天皇8年(694年)12月に藤原京への遷都が行われた[16]

  • 奈良時代

藤原京は日本で初めて条坊を整備した画期的な都であったが、その地勢の悪さから破棄され[17]、和銅3年(710年)3月10日、元明天皇平城京に遷都を行った。平城遷都に関しては「大宝律令」の制定を契機に、中央集権国家にふさわしい首都を建設しようとしたともされている[18]。平城京は藤原京に続いて条坊を備えた本格的な都城として造営された。

天平12年(740年)、聖武天皇伊勢国美濃国と関東を行幸後、平城京へ帰途の途中の同年12月15日、恭仁京に遷都を行った[19]。その後、天平16年(744年)2月26日に難波京 [20]、更に天平17年(745年)1月には紫香楽宮へと目まぐるしく都を移転させた後、同年中に平城京へ帰還した[21]

延暦3年(783年)11月11日、桓武天皇長岡京遷都を行った[22]。しかし延暦13年(794年)に6、8月と続けて水害に見舞われ同年中に平安京に都を移した[23]

  • 平安時代以降

延暦13年(794年)10月22日、桓武天皇は新たに平安京を都に定めた[24]

それから約四百年後の治承4年(1180年)6月2日、平清盛福原京遷都した[25]。しかし福原京は短命に終わり、同年11月25日には平安京に再遷都された[26]。その後京都は千年以上日本国の首都であり続けたが、維新政府は明治時代になって江戸を東京と改め、ここを首都とした。

日本の遷都一覧
遷都先施行日備考
板蓋宮 斉明天皇元年(655年)1月
川原宮 斉明天皇元年(655年)冬[11]
後飛鳥岡本宮 斉明天皇2年(656年)[11]
近江大津宮 天智天皇6年(667年)3月19日[27]
飛鳥浄御原宮 天武天皇元年(672年)冬[28] 天武天皇12年(683年)12月17日、詔により難波宮を副都とする[13]
藤原京 持統天皇8年(694年)12月6日[16][15]
平城京 和銅3年(710年)3月10日[29]
恭仁京 天平12年(740年)12月15日[19] 聖武天皇「彷徨5年」の始まり。
難波京 天平16年(744年)2月26日[20]
紫香楽宮 天平17年(745年)1月[21]
平城京 天平17年(745年)9月11日[21]
長岡京 延暦3年(784年)11月11日[22] 複都制終了。
平安京 延暦13年(794年)10月28日[24]
福原京 治承4年(1180年)6月2日[25]
平安京 治承4年(1180年)11月25日[26]
東京府 慶応4年/明治元年(1868年)? 施行日不明。
その他

頓挫した遷都

  • 怨霊に潰された都
奈良時代末にあたる延暦3年(784年)、桓武天皇に従って平城京より遷都された長岡京は、全うに準備・造営された都であったが、政変に加えて氾濫疫病等の変事までもが相次いだことにより、当時の世界観では重大な政治懸案の一つであった「怨霊」から逃れるため、より実務的には「祟りの原因は天皇にが無く天子の資格が無いことにある」との評価が民衆に広まって世の乱れる元となることを怖れて、わずか9年で廃都を余儀なくされ、平安京への遷都の運びとなった。9年という期間は十分に長いとも言えるが、政治的意図は頓挫しており、変事と悪霊への怖れによって挫折に追い込まれた都市計画の代表的一例である。もっとも、天武天皇系の政権を支えてきた貴族寺院の勢力が集まる大和国から脱して未開同然の山城国に自らが属する天智天皇系の都を造るという意図は、長岡京が平安京に置き換わろうとも問題ではなく、易学的および政治的の意図から外れたとも言えないため、桓武天皇の志という意味では頓挫していない。
  • 平城還都の
平安時代前期に当たる大同4年(810年)、時の為政者・嵯峨天皇は、藤原薬子らの介入によって平城宮に移った平城上皇と対立し、二所朝廷という憂いべき事態(最高国家権威が並立する政治情勢)に陥ったが、上皇が平城還都勅令するに及んで、その動きをいち早く押さえ込んだ。これが薬子の変の始まりであり、「平安京より遷都すべからず」との桓武天皇の勅を破って平城京への還都を画策する勢力にとっては最後の抵抗となった。
  • 受け容れられなかった都
平安時代末期に当たる治承4年(1180年)、日宋貿易に重きを置く平氏政権が権勢を振るうなか、内陸に位置して海運を活かせない平安京から瀬戸内海に開けた福原京への遷都が平清盛によって断行されたが、院政を敷いていた高倉上皇は平安京の放棄ばかりは頑なに認めようとせず、行幸の拒絶等をもって在京の貴族と共に抵抗した。そうこうしているうちに間もなくして源氏の挙兵(反乱)があると、これを鎮めることの重要性に鑑みて清盛自らが旧都に立ち戻る。時の安徳帝内裏は須磨離宮のある神戸市須磨区に、神戸市教育委員会調べで存在するものの、強引な断行を押し進めていた清盛が病死した事によって一年を迎えず平安京へ還都。半ば頓挫という結果に終わった。
ソウル軍事境界線に近すぎるため、過去に何度か首都移転構想があったが、いずれも頓挫している。2000年代には盧武鉉大統領が忠清南道燕岐郡への移転を目指したものの、2004年10月21日憲法裁判所が「憲法には首都に関する規定はないが、ソウルが600年以上にわたって首都であり、移転は改憲同様の手続きを要する」との見解を出したため、これを断念している。首都移転を当て込んだ不動産会社による土地買い占めも失敗に終わった。しかし2004年7月5日忠清南道燕岐郡公州市に跨る地域に一部の行政機関のみ移転することが内定した。紆余曲折を経て、最終的にはいくつかの周辺自治体を集約して、ニュータウンである世宗特別自治市2012年7月1日に発足した。また、1970年代には、朴正煕大統領が大田への首都移転を計画していた。

脚注

  1. 字義としての「都」は天子の宮城のある首府をあらわす。代の行政上の区画では君主の宗廟のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を(ユウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。曹丕文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。
  2. 広辞苑 第五版。
  3. 大辞林 第三版。
  4. 大辞泉
  5. 山形大学歴史・地理・人類学研究会編: 山形大学歴史・地理・人類学論集 第12号 抜刷 (PDF)”. (公式ウェブサイト). 山形大学 (2011年3月). 2012年12月19日閲覧。
  6. 上田正昭 (1997年). 都市の記憶と宗際のこだま - 会報62 (平成9年)”. (公式ウェブサイト). 京都仏教会. 2012年12月29日閲覧。
  7. 同時期の場合は、早く遷都したほうを先に記載する。
  8. インドネシア、首都移転へ ジャワ島外が候補
  9. Burundi to change its capital cityBBC World News・2019年3月29日観覧
  10. 舘野和己 「宮都の廃絶とその後」『 都城制研究』(6) 奈良女子大学古代学学術研究センター、2012年、4頁。
  11. 舘野、2012年、5頁。
  12. 吉水眞彦 「近江大津宮をめぐる諸問題」『国立歴史民俗博物館研究報告』179 国立歴史民俗博物館、2013年、200頁。
  13. 舘野和己 「日本古代の複都制」『都城制研究』(4) 奈良女子大学古代学学術研究センター、2010年、120-121頁。
  14. 林部均 「藤原京の条坊施工年代再論」『国立歴史民俗博物館研究報告』160巻 国立歴史民俗博物館、2010年12月、14頁。
  15. 林部、2010年、16-17頁。
  16. 藤原京条坊考」『梅光女学院大学紀要』6巻 梅光女学院大学、1971年3月、23頁。
  17. 舘野和己 「日本都城の環境と思想」『都城制研究』9 奈良女子大学古代学学術研究センター、2015年、1-3頁。
  18. 鍋田一 「平城遷都の理由に関して」『明治大学社会科学研究所紀要』27(2)、1989年、101頁。
  19. 足立健次郎 「万葉集鹿背山際考 : 恭仁京の所在について」『大阪城南女子短期大学研究紀要』11 大阪城南女子短期大学、1976年、25頁。
  20. 積山洋、2010年、71頁。
  21. 江口洌 「聖武天皇の流離五年の意義 : 「続日本紀」と聖教(2)」『千葉商大紀要』46 千葉商科大学商経学部、2010年、71頁。
  22. 鈴木亘 「古代宮殿建築における前殿と朝堂 : その 6 長岡宮および平安宮」『日本建築学会論文報告集』 337(0) 日本建築学会、1984年、124頁。
  23. 松浦茂樹 「古代の宮都の移転と河川--長岡京,平安京への遷都を中心に」『水利科学』211号 水利科学研究所、2011年、50-52頁。
  24. 佐野真人他 「桓武天皇とその時代(平成二十七年度皇學館大学研究開発推進センター神道研究所公開学術シンポジウム)」『皇學館大学研究開発推進センター紀要』3号 皇學館大学研究開発推進センター、2017年3月、34頁。
  25. 高橋昌明 『平清盛 福原の夢』 講談社、2007年、222頁。
  26. 高橋、2007年、260頁。
  27. 『日本書紀』天智天皇6年(667年)3月条。
  28. 鈴木亘 「古代宮殿建築における前殿と朝堂 : その 1 飛鳥浄御原宮および藤原宮」『日本建築学会論文報告集』312巻 日本建築学会、1982年、153頁。
  29. 大橋一章 「平城遷都と国家官寺の移転」『早稲田大学大学院文学研究科紀要 : 第3分冊 日本語日本文学・演劇映像学・美術史学・日本語日本文化』54巻3号 早稲田大学大学院文学研究科、2009年2月、105頁。

関連項目

都の種類
都と歴史

外部リンク

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