蜃気楼

蜃気楼(しんきろう、:海市蜃楼、:mirage、:Fata Morgana[1][2]:Luftspiegelung)は、密度の異なる大気の中で屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたりする現象。光は通常直進するが、密度の異なる空気があるとより密度の高い冷たい空気の方へ進む性質がある。蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えられたところから蜃気楼と呼ばれるようになった[3]

画像提供依頼:八代海または有明海の不知火(熊本県ポータルより)の画像提供をお願いします。2011年1月
ユタ州グレートソルト湖の蜃気楼(浮島現象)

種類

大気の密度は大気の温度によって疎密を生じるが、低空から上空へ温度が上がる場合、下がる場合、そして水平方向で温度が変わる場合の3パターンがある。それぞれによって蜃気楼の見え方が異なる為、以下のように分類される。

上位蜃気楼

ファタ・モルガーナ
四角い太陽

温度の低い海面等によって下方の空気が冷やされ密度が高くなると、元となる物体の上方に蜃気楼が出現する。水平線(地平線)の下に隠れて見えない風景や船などが見える場合があり、通常ニュースなどで取り上げられる蜃気楼は、この上位蜃気楼を意味する場合が多い。

ヨーロッパなどでは、伝統的にファタ・モルガーナとも呼ばれている。

北海道別海町野付半島付近や紋別市などでは、この対応の蜃気楼の一種として、四角い太陽が観測されることがある。四角い太陽は、気温が氷点下20度以下になった早朝、日の出直後の時間帯に、通常は丸く見える太陽が四角く見える現象である。極地域では他にもこれが観測される場所がある。16世紀末、ウィレム・バレンツらの北極海探検時にノヴァヤゼムリャで発見されたので、ノヴァヤゼムリャ現象という別名もある。

下位蜃気楼

光の屈折による下位蜃気楼
逃げ水現象

最も一般的に目にする機会の多い蜃気楼。アスファルトや砂地などの熱い地面や海面に接した空気が熱せられ、下方の空気の密度が低くなった場合に、物体の下方に蜃気楼が出現する。

ビルや島などが浮いて見える浮島現象逃げ水現象もこのタイプに属する。

鏡映(側方)蜃気楼

物体の側方に蜃気楼が出現する。報告が最も少なく、極めてまれな現象であると言える。スイスジュネーブ湖で目撃されたという報告がある。また、日本で不知火(夜の海に多くの光がゆらめいて見える現象。九州八代海有明海などで見られる)と呼ばれるものも、このタイプの蜃気楼に属すると言われている。

歴史

蜃気楼(鳥山石燕今昔百鬼拾遺』)

蜃気楼と見られる記述が初めて登場したのは、紀元前100年頃のインドの「大智度論」第六まで遡る。この書物の中に蜃気楼を示す「乾闥婆城」という記述がある。また、中国では『史記』天官書の中に、蜃気楼の語源ともなる「(あるいは。大蛤)の気(吐き出す息)によって楼(高い建物)が形づくられる」という記述がある。日本語の「貝やぐら」は、蜃楼の蜃を「かい」、楼を「やぐら」と訓読みにしたことばである。

日本では近世に成立した『北越軍談』において上杉謙信が蜃気楼を見たとする逸話を記しているが、最も古い確実な文献として、加賀藩に仕えた澤田宗堅の『寛文紀行(寛文東行記)』〔1669年寛文9年)〕に、蜃気楼についての漢詩が詠まれている。

魚津古今記』〔1788年天明8年)〕では、加賀藩当主である前田綱紀魚津で蜃気楼を見て吉兆であると「喜見城」(「きけんじょう」=須弥山の頂上の忉利天にある帝釈天の居城)と名づけたと伝えられている。その他、同じく加賀藩当主、前田治脩は、1797年寛政9年)4月に江戸から金沢への参勤交代帰城道中に魚津で蜃気楼を発見し、その絵(『喜見城之図』)を描かせたと伝えられている[4][5][6]

幕末1846年弘化3年)に北海道を探検した松浦武四郎は、著書『再航蝦夷日誌』、『西蝦夷日誌』で小樽の蜃気楼を「高島おばけ」と称して紹介している[7][8]

富山湾魚津の蜃気楼

春夏型の上位蜃気楼(富山県魚津市沖)

日本国内で最も蜃気楼が見られる街魚津市では、富山湾富山市(岩瀬)方向や黒部市(生地)方向に蜃気楼が現れるが、1992年より魚津埋没林博物館の学芸員が毎年の出現回数を、1996年4月より回数に加えて、3台のカメラと屋外の肉眼での観測を行ない、A〜Eの5段階評価で発表している。

Aランクは肉眼でもはっきり明瞭に見え、誰もが満足するもの、Cランクは蜃気楼の知識がない人や、双眼鏡を使用せず肉眼で見ている人の半数がわかるものとしている。ただ刻々と変化するのであくまでも目安としている。Aランクの蜃気楼は滅多に現れることはなく、ここ最近では2005年2018年6月30日に現れただけで、観測を始めてからも8回のみである[9][10]

秋冬型の下位蜃気楼(富山県魚津市沖)

2020年(令和2年)3月より、魚津埋没林博物館と富山大学は共同で、魚津市の海岸線沿いにある遊園地ミラージュランド」の観覧車の支柱3ヵ所(それぞれ地上7m、15m、34m)に海上に向け温度計を設置、それぞれの高度の気温を10分ごとに観測し、蜃気楼が発生する気象条件を探るとともに、将来的には発生予報に役立てばとしている[11]

歴史の項での記述にもあるように、前田綱紀や前田治脩が蜃気楼を目撃にしている場所は、北陸道が魚津の海岸沿いを通る地点にある、加賀藩ならびに、富山藩大聖寺藩専用の御旅屋があった場所であり、現在は大町海岸公園となっている。この公園は御旅屋跡としての場所が特定でき、歴史的背景もあり、現在も蜃気楼を見ることができる景勝地であることから、2020年(令和2年)3月10日に、「魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)」として国の登録記念物(景勝地)に登録されている[4][5]

蜃気楼を描いた芸術作品

脚注

  1. Definition of FATA MORGANA (英語). www.merriam-webster.com. 2019年10月1日閲覧。
  2. 蜃気楼 (日本語). コトバンク. 2019年10月1日閲覧。
  3. 『大辞泉』
  4. No.938:県内2カ所の円筒分水槽、国登録有形文化財に! 魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡)、国登録記念物に富山の今を伝える トヤマ ジャストナウ
  5. 登録記念物への登録文化庁 報道発表 2019年11月15日 文化審議会の答申(史跡等の指定等)について 登録記念物への登録
  6. 蜃気楼と歴史魚津埋没林博物館 蜃気楼
  7. 松浦武四郎が紹介した「高島おばけ」小樽市総合博物館
  8. 小樽の蜃気楼(しんきろう)「高島おばけ」小樽市総合博物館
  9. 『出た 12年ぶり Aランク 魚津で蜃気楼』北日本新聞 2018年7月1日1面
  10. 『「最高」の神秘ショー 12年ぶりAランク蜃気楼 観光客ら歓声 「A」は肉眼ではっきり』北日本新聞 2018年7月1日32面
  11. 『蜃気楼研究に観覧車活用 魚津埋没林博物館と富山大』北日本新聞 2020年3月26日23面

関連項目

外部リンク

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