緑 (墨田区)

(みどり)は、東京都墨田区町名。現行行政地名は緑一丁目から緑四丁目。郵便番号は130-0021[2]

緑の位置
北緯35度41分38.61秒 東経139度47分55.81秒
日本
都道府県 東京都
特別区 墨田区
地域 本所地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
  合計 13,216人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
130-0021[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

地理

緑は墨田区の南西部に位置し、本所地域内に当たる。墨田区役所の南方約1.5kmに当たる。北で亀沢、東で大横川を挟んで対岸に江東橋、南は竪川を挟んで対岸に立川、西で両国と隣接する。町域の北辺をJR鉄道路線、南辺を竪川と接し、同川の上空を首都高速道路の高架橋が走る。また町域東辺を都道、西辺を大横川と接し、町域中央を国道が東西に走る。丁番は町域西側から緑一丁目、同二丁目、同三丁目、三ツ目通りの東に同四丁目が並べられている。

河川

歴史

居住地としての始まりは、江戸時代明暦年間にさかのぼる。明暦の大火により本所一帯の開拓整地が行われた。その後、元禄元年(1689年)に「緑町」という町名が付けられた。当時は、緑町一丁目から五丁目まであり、道路が碁盤目上に走り、町屋や武家屋敷が整備された。

明治時代に入ると、現在の北斎通りに当たる南割下水までが緑町として扱われることとなった。その名残として、北斎通りの亀沢二丁目付近にある公園には「緑町公園」の名称が使用されている。なお、この緑町公園は、総武線の高架線を挟んで南北に分かれている。昭和に入り今度は南割下水から国鉄総武線のガード部分について亀沢に分割され、代わりに三ツ目通り以東を編入し、この時点でほぼ現在の形が整った。なお、このときに緑町はほぼ現在の形に町名変更が行われた。第二次世界大戦中の東京大空襲時には火災によりほぼ町内すべてを焼失しており、鉄筋コンクリート構造東京市緑国民学校など一部の建物が残るのみであった。戦後は、緑町から町名を「緑」に変更したが、町域等の変更はなかった。緑町内は町工場が多く見られ、工業を中心として発展していたが、近年の規制なども相まって、町工場の閉鎖が多くなり、人口が減少傾向にあった。しかし、これら町工場の撤退に併せて、マンション建設等が進められ、人口も少しずつ回復を見せるようになった。

史跡

  • 小林一茶旧居跡(緑一丁目)
  • 寿座跡(緑二丁目)

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
緑一丁目 1,784世帯 2,955人
緑二丁目 1,708世帯 3,284人
緑三丁目 1,540世帯 2,709人
緑四丁目 2,563世帯 4,268人
7,595世帯 13,216人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]

丁目番地小学校中学校
緑一丁目全域墨田区立緑小学校墨田区立両国中学校
緑二丁目全域
緑三丁目全域
緑四丁目全域墨田区立竪川中学校

交通

鉄道

北辺をJR東日本総武本線が、また西辺を通る清澄通り地下に都営地下鉄大江戸線が通るが、駅は設置されていない。JR両国駅、都営両国駅およびJR錦糸町駅が最寄り駅となる。

バス

町域内には、緑一丁目、緑二丁目、緑三丁目の停留所がある。以下の路線が、東京都交通局により運行されている。

道路・橋梁

道路
橋梁
  • 大横川に架かる橋
    • 江東橋(国道14号 <京葉道路> )
    • 撞本橋
  • 竪川に架かる橋
    • 二之橋(都道463号線 <清澄通り> )
    • 西竪川橋
    • 竪川橋
    • 新竪川橋
    • 三之橋(都道319号線 〔三ツ目通り〕)
    • 菊花橋

施設

出身著名人

関連項目

  • みどり - 曖昧さ回避のためのページ

脚注

  1. 月別世帯人口”. 墨田区 (2017年12月1日). 2017年12月27日閲覧。
  2. 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月27日閲覧。
  4. 通学区域”. 墨田区 (2017年4月1日). 2017年12月27日閲覧。

外部リンク

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