総理大臣公邸

総理大臣公邸(そうりだいじんこうてい、: Prime Minister's official Residential Quarters)は、日本内閣総理大臣公邸

総理大臣公邸
Prime Minister's official Residential Quarters
情報
旧名称 総理大臣官邸
用途 内閣総理大臣の官舎
旧用途 内閣総理大臣の執務拠点
設計者 下元連
構造形式 鉄筋コンクリート構造
延床面積 7,000 m²
階数 地上3階、地下1階
竣工 1929年3月18日
改築 2003年10月-2005年4月
所在地 100-8968
東京都千代田区永田町2丁目3番1号

総理公邸(そうりこうてい)、首相公邸(しゅしょうこうてい)ともいう。

官邸敷地内にあり、内閣総理大臣の執務の拠点である総理大臣官邸に隣接する。公邸と官邸は屏でつながっている。

概要

日本では首相が公務を行う建物を「官邸」、居住する建物を「公邸」と分け、同じ隣接するこの二つを区別している。

総理大臣公邸の建築設置は、国家公務員宿舎法の規定に基づいている。

現在の公邸は、1929年(昭和4年)3月18日に竣工した旧総理大臣官邸を移動(曳家)して改装した建築物で、2005年(平成17年)から利用されている。

首相在任期間中、公邸に居住するか否かは歴代総理ごとに判断が委ねられている(一覧参照)。ただし、官邸に隣接する公邸ではなく私邸を利用する場合には、危機管理への対応に支障が生じていないか、国会で問われることがある。

2015年(平成27年)2月23日国会衆議院予算委員会で、内閣総理大臣安倍晋三(当時:第3次安倍内閣)が衆議院議員松木謙公に公邸に居住しない理由を問われ、「自宅(実際には渋谷区富ヶ谷の別宅[注釈 1])の方がゆっくりと休息できること」を挙げ、「危機管理対応にも殆ど支障がない」と答弁している[1]

また、2021年(令和3年)2月15日の国会衆議院予算委員会で、内閣総理大臣の菅義偉菅義偉内閣)が公邸に居住せず、総理官邸から約500mの距離がある港区の赤坂議員宿舎から通勤していることについて、元首相の野田佳彦が「首都直下型地震など緊急事態への対応や、公邸には年間1億6千万円の維持管理費がかかっている」と指摘したのに対し、「緊急事態には対応していく態勢は、日ごろからしっかり取っている」と答弁している[2]

歴史

旧公邸

旧官邸と渡り廊下で連結していた平屋造り508平方メートルの旧公邸は、その外観こそは官邸に連なるライト風の建物だったが、内装には和式を取り入れていたことから、完成当時は「日本間」と呼ばれていた(画像)。内装工事が完了するとすぐに田中義一が入居し、以後6人の歴代首相がここに寝起きした。

「日本家」
仮公邸 (1937-45年)として建造されたが、ここに首相が居住することは一度もなかった。

旧公邸は、二・二六事件陸軍反乱兵によって掻き乱され、住居としては使い物にならないほどにまで荒らされてしまった。そこでこれを復旧するのはあきらめて官邸の事務所に転用し、翌年には官邸南庭に木造二階建ての仮公邸を新築した。この家屋は外観が日本式そのものだったので「日本家」と呼ばれた。しかし「日本家」は会合や臨時の休息所として使用されることはあっても、定住する者はない空き家だった。二・二六事件以後の歴代首相は、もう誰もこの物騒な敷地内に居住しようとはしなかった。「日本家」は1945年(昭和20年)、米軍による5月25日の大空襲で焼失した。

戦後になっても首相の自宅(私邸)居住は変わらなかった。歴代首相は毎日都内の私邸から官邸まで、黒塗りの公用車に乗ってパトカー先導で「通勤」していたのである。兵士(自衛隊)に襲撃されるような心配はなくなったが、公邸が事務所と化してすでに久しく、その内部は荒れ放題になっていた。

一方、当時の大物政治家は御殿のような邸宅に居住している者も少なくなかった。そうした邸宅をもつ首相のなかには、逆に官邸の機能を私邸の方へ持ってきてしまう者もいた。すでに戦前には、近衞文麿杉並区荻窪の私邸「荻外荘」を主要閣僚との会談などに活用し、大戦前夜の重要な国策の多くがここで決定されている。鳩山一郎脳梗塞の後遺症から身体が不自由だったこともあり、「音羽御殿」と呼ばれた文京区音羽の大邸宅には与党幹部や政府要人が自ら足を運ぶことが多く、保守合同日ソ共同宣言の下準備もここで行われた。ずっと後のことだが、「目白御殿」と呼ばれた文京区目白台田中角栄の私邸にも与党幹部や各省庁の局長クラスなどが引っ切りなしに出入りして、まるで官邸のような様相を呈していた。

「目黒公邸」
外務大臣公邸 (1947–50年) として事実上の首相公邸の役割を担った旧朝香宮邸。現在は東京都庭園美術館として一般に公開されている。

幣原内閣で外相だった吉田茂は、傍系11宮家の皇籍離脱が決定すると、いち早く関係各方面に働きかけてアールデコの粋を尽くした白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)を外務大臣公邸とすることに決定してしまう[注釈 2]

そうこうしているうちに吉田は首相になり、外相も引き続き兼務したので、外相公邸は事実上の首相公邸になった。与党議員が出入りして落ち着けない官邸を嫌った吉田は、愛してやまない[注釈 3]この瀟洒な邸宅で政務の大半を執ったので、外相公邸は次第に第二の官邸のごとき様相を呈するにいたった。現在「官邸」と言うとそれが首相や官邸スタッフのことを意味することもあるように、戦後の一時期において「外相公邸」「目黒[注釈 4]」などと言えば、それは吉田やその側近たちのことを指した。

一方、旧公邸の方はその後も引き続き官邸事務所として使われていたが、60年安保でデモ隊が官邸を包囲して岸信介がカンヅメにされるという事態が起きると、官邸に隣接した居住施設の必要性が改めて浮き彫りにされた。そこで1963年(昭和38年)から旧公邸に大規模な改修を施す工事が始まり、その完成を待って1968年(昭和43年)には佐藤榮作が二・二六事件以来実に32年ぶりに公邸の主としてここに移り住んだ。7年8ヵ月という連続在任の最長不倒記録をうち立てた佐藤は、任期後半の4年間を公邸で暮らしている。後に佐藤寛子夫人は、田中角榮福田赳夫大平正芳などが大派閥の領袖でありながらいずれも短期政権に終わったことを評して、「首相が在任中を通じて公邸に住み続けることこそが、長期政権の秘訣ですよ」と語っていた。

しかし佐藤以後の首相がみな公邸住まいをしたわけではなかった。旧公邸には大規模な改修が施されたとはいえ、やはりそもそもが住み心地の悪い住居だった。怪談に加えて、狭い、日当りが悪い、造りが古い、使い勝手が悪い[注釈 5]など、満足のいくものがなく、そのうえ巨大なゴキブリ[注釈 6]ネズミが頻繁に出没するといった問題まで抱えていた。危機管理上の懸念と[注釈 7]、官邸機能の強化から[注釈 8]、首相の公邸住まいが常態として定着するのは、平成に入ってからである(「歴代総理と官邸公邸」の節を参照)。

5年5ヵ月の長期政権を担った小泉純一郎は、新官邸の建設 → 旧公邸の取壊し → 旧官邸の移動 → 新公邸への改装という、一連の歴史的な官邸建替え事業の一部始終を自らの任期中に体験することになった。2002年(平成14年)8月28日、旧公邸の取壊しを控えて小泉は仮公邸となった品川区東五反田内閣法制局長官公邸に引っ越したが、そこで官舎の豪勢なことに驚愕し、「総理大臣公邸よりも、官房長官公邸よりも、官僚の公邸の方が上なのかなあ」と溜息したという。

現公邸

総理大臣公邸(中央右下)の航空写真。同じ敷地内の総理大臣官邸(中央左上)に隣接している(2009年4月27日撮影)

現官邸のほうが完成したことに伴い、旧官邸を移動・改装し、これを迎賓機能を持つ新しい首相公邸として使用することになった。

2003年(平成15年)10月から約1ヵ月をかけて、総重量約2万トンの建物全体を、東に8度回転させながら南に約50m移動させる曳家を行い、その後1929年(昭和4年)の完成当時の姿を丁寧に復元する改修が施された。また邸内には茶室や和室のダイニングなど外国からの賓客をもてなす部屋が新たに作られた。また燃料電池による発電・熱供給システムや、太陽光発電風力発電など環境に配慮した各種最新設備が導入された。

改修工事は2005年(平成17年)4月に終了、小泉純一郎政権発足4周年の4月26日を記念して新公邸への引っ越しが行われた。

「幽霊出没説」

旧公邸や現公邸問わず、「幽霊を見た」との噂や話はたびたび語られている。

現公邸(旧官邸)は、五・一五事件二・二六事件など、旧日本軍によるクーデターの舞台となり、犬養毅松尾伝蔵など数人の死者も出していることもあり[注釈 9]、軍服姿の幽霊が出るという噂は、以前から聞かれるものである[3]森喜朗は「寝入りばなにカチャカチャと音がするので、目が覚めた。ドアノブの音。そっと外を見たら、じゅうたんの廊下をタッタッタッと音が遠ざかっていくんだ」と述べている[4][5]

なお、安倍晋三が首相に再就任した後の2013年(平成25年)5月15日に、民主党参議院議員の加賀谷健による総理大臣公邸に関する質問主意書の中で「幽霊が出るとの噂があるが事実か。安倍総理が公邸に引っ越さないのはそのためか」との質問が出されたことがある。これに対して日本国政府(当時:第2次安倍内閣)は、幽霊の噂について「承知していない」とする答弁書を閣議決定している[6][7][4][8]

歴代総理と官邸公邸

首相 在任 居住 出来事
田中義一 1927-1929 公邸 1929年(昭和4年):旧官邸と旧公邸が竣工、首相が公邸住まいになる。
濱口雄幸 1929-1931 公邸 1930年(昭和5年):東京駅で濱口が狙撃されて重傷、四ヵ月にわたって公邸に引き籠り療養に専念する。
若槻禮次郎 1931 公邸
犬養毅 1931-1932 公邸 1932年(昭和7年):五・一五事件。犬養が青年将校により官邸で射殺される。葬儀は官邸大ホールで行われる(旧官邸では唯一の例)。
齋藤實 1932-1934 公邸
岡田啓介 1934-1936 公邸 1936年(昭和11年):二・二六事件。官邸にて岡田の義弟・松尾伝蔵が首相と誤認されて青年将校により射殺される。また、公邸も反乱兵によって荒らされる。
廣田弘毅 1936-1937 私邸
林銑十郎 1937 私邸
近衞文麿 1937-1939 私邸 1937年(昭和12年):杉並区荻窪の近衞の私邸「荻外荘」が政治の舞台になる。
平沼騏一郎 1939 私邸
阿部信行 1939-1940 私邸
米内光政 1940 私邸
近衞文麿 1940-1941 私邸 1940年(昭和15年):「荻外荘」が再び政治の舞台となる。
東條英機 1941-1944 私邸
小磯國昭 1944-1945 私邸
鈴木貫太郎 1945 私邸 1945年(昭和20年):終戦の日の官邸襲撃事件が起り、鈴木の自宅も襲撃される。
東久邇宮稔彦王 1945 私邸
幣原喜重郎 1945-1946 私邸
吉田茂 1946-1947 (公邸) 1947年(昭和22年):白金台旧朝香宮邸を外務大臣公邸とし、総理兼外相の吉田がこれを首相公邸として使用する。
片山哲 1947-1948 私邸
芦田均 1948 私邸 1948年:片山内閣に外相として入閣し、首相になってからも吉田と同じように外相を兼任した芦田は、吉田とは違って外相公邸には近づこうともしなかった[注釈 10]
吉田茂 1948-1954 (公邸) 1948年(昭和23年):吉田が外相公邸を再び首相公邸として使用。
1950年(昭和25年):旧朝香宮邸を迎賓館として整備するため民間に払い下げる。以後吉田は自宅に住まう[注釈 11]
私邸
鳩山一郎 1954-1956 私邸 1954年(昭和29年):文京区音羽の鳩山の自邸「音羽御殿」が政治の舞台になる。
石橋湛山 1956-1957 私邸
岸信介 1957-1960 私邸 1960年(昭和35年):60年安保で官邸がデモ隊に包囲され岸がカンヅメに。6月23日新安保条約批准書が旧外相公邸で交換され発効する。
池田勇人 1960-1964 私邸 1963年(昭和38年):公邸改修工事開始。
佐藤榮作 1964-1972 私邸 1968年(昭和43年):公邸改修工事完了、佐藤が公邸に移り住み、首相として32年ぶりの公邸住まいになる。
1970年(昭和45年):70年安保で官邸がデモ隊に包囲され佐藤がカンヅメに。
公邸
田中角榮 1972-1974 私邸 文京区目白台の田中の自邸「目白御殿」が政治の舞台になる。
三木武夫 1974-1976 公邸 1974年(昭和49年):「クリーン三木」を掲げて官邸入りした三木は、前任者との違いをアピールするため迷わず公邸住まいを選ぶ。
福田赳夫 1976-1978 私邸
大平正芳 1978-1980 私邸
鈴木善幸 1980-1982 私邸
中曾根康弘 1982-1987 公邸 1982年(昭和57年):中曾根は官邸機能強化への地ならしとして任期中の5年間を通じて公邸で暮らす。
1987年(昭和62年):官邸の建て替えを閣議決定。
竹下登 1987-1989 私邸
宇野宗佑 1989 公邸
海部俊樹 1989-1991 公邸 ホテルオークラのスイートルームを自宅代わりに使用
宮澤喜一 1991-1993 私邸
細川護煕 1993-1994 公邸
羽田孜 1994 公邸 羽田内閣は、内閣不信任決議案が可決される公算が大きくなったことから総辞職。羽田はこの日の朝公邸を出ると二度そこには戻らず、替わりに数日後戻ってきた総理は村山だった[9]
村山富市 1994-1996 公邸
橋本龍太郎 1996-1998 公邸
小渕恵三 1998-2000 公邸 1999年(平成11年):新官邸の建設が始まる。
2000年(平成12年):小渕が脳梗塞を発症して公邸で倒れて執務不能となり、順天堂大学医学部附属順天堂医院に搬送される。
森喜朗 2000-2001 公邸
小泉純一郎 2001-2006 公邸 2002年(平成14年):新官邸が完成。小泉が旧官邸を出て、仮公邸となった品川区東五反田の内閣法制局長官公邸に移り住む。
2003年(平成15年):旧官邸の移動改装工事が始まる。
2005年(平成17年):新公邸が完成、小泉が移り住む。
仮公邸
公邸
安倍晋三 2006-2007 公邸
福田康夫 2007-2008 公邸
麻生太郎 2008-2009 公邸 衆議院総選挙後の入居と公言していたが、2009年(平成21年)1月19日に自宅から公邸へ引っ越している。
鳩山由紀夫 2009-2010 公邸 公邸内の改修などもあり、政権発足43日目の2009年(平成21年)10月28日に引越し。
菅直人 2010-2011 公邸 2010年(平成22年)6月19日に引越し。政権発足後12日目の引越しは比較的短期間である。
野田佳彦 2011-2012 公邸 2011年(平成23年)10月1日に引越し。
安倍晋三 2012-2020 私邸 2013年(平成25年)1月14日に政権発足後初めて公邸に入る。同月末に、入居のための改装工事が行われた。第2次内閣以降は入居せず、国会会期中など短期の公邸滞在を除き、渋谷区富ヶ谷の別宅から通勤していた。夜の会食等で公邸を利用し、そのまま宿泊する場合も多かった。
菅義偉 2020- 議員宿舎 公邸への入居を検討中[10]としていたが、2021年(令和3年)現在[11]港区赤坂衆議院議員宿舎より通勤。
2021年(令和3年)1月25日の衆議院予算委員会で公邸に入居しないことを明言した[12]

脚注

注釈

  1. 安倍晋三の自宅は、山口県下関市。渋谷区が含まれる東京都第7区長妻昭の地盤で、ここには住民登録していない。
  2. 21世紀の現在では「公邸」があるのは総理大臣のみで、それ以外の国務大臣に「公邸」は存在しない
  3. 実際吉田は、「外相を兼務したのはこの公邸に住んでいたかったからさ」と公言してはばからなかった。
  4. 住所は白金台でも、旧朝香宮邸は目黒駅から徒歩5分ほどのところに位置しているため。
  5. 細川護煕の佳代子夫人は、「どの部屋も薄暗い、家族五人が集まれる居間がない、台所のガス台は65年前のもの」などと当時を回想、公邸を下見したときは「ショックでした」と語っている。
  6. 佐藤寛子は著書の中で、公邸のゴキブリは体長が4〜5センチはあり、佐藤榮作もこれには参っていたことを記している。
  7. たとえパトカー先導といえども都心の交通混雑は侮り難い。一刻一秒を争う緊急事態が発生しているときに首相の車が渋滞にはまってノロノロでは危機管理上の大問題なので、首相の「通勤」は避けるべきだとの意見は以前からあった。安倍晋三の出勤の際は首都高速道路中央環状線が一部通行止めにされた。当時、平日朝の交通情報で当該ルートについて毎日のように「警備のため閉鎖」と案内されている
  8. アメリカ大統領なみの指導力を持った首相、そしてホワイトハウスなみの機動性を備えた官邸を目指した中曾根康弘は、在任中の5年間を公邸で過ごして存在感をアピールすることにより官邸機能強化への地ならしを図った。
  9. 1932年(昭和7年)5月19日、犬養の葬儀が官邸大ホールで執り行われた。旧官邸(新公邸)で葬儀が行われたのは、この犬養の葬儀が唯一の例である。木造官邸では、1923年(大正12年)8月28日、大広間で加藤友三郎の葬儀が行われている。
  10. 芦田は吉田に遅れること5年で外務省に入省したが、大使館附参事官を最後に退官して政治家となった党人で、吉田とは外交官歴も政治家歴もまったく異なっていた。しかも芦田の自宅は芝白金にあり、吉田が近所の旧朝香宮邸を外相公邸にして住み込んだことが面白くなかったのである。
  11. ただし吉田はこの後も旧外相公邸をさまざまな機会に使用している。

出典

  1. “首相公邸に住まぬ理由「自宅はゆっくり休める」”. 読売新聞. (2015年2月24日). オリジナルの2015年2月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150224135227/http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150224-OYT1T50007.html
  2. 公邸になぜ住まない?野田元首相が菅氏に「わがままだ」 朝日新聞 2021年2月15日閲覧
  3. “公邸めぐる2つの謎「軍服の幽霊」ともう一つは?”. プレジデント (プレジデント社). (2011年11月10日). https://president.jp/articles/-/5117 2021年2月20日閲覧。
  4. “首相公邸幽霊騒動 歴代首相も恐怖体験、小泉氏はお祓いも”. 女性セブン (小学館). (2013年5月30日). https://www.news-postseven.com/archives/20130530_191345.html 2021年2月20日閲覧。
  5. “暗殺の舞台 オバケが出る? 菅首相 公邸に住まない理由”. FNNプライムオンライン (フジテレビジョン). (2021年2月19日). https://www.fnn.jp/articles/-/146343 2021年3月1日閲覧。
  6. 総理大臣公邸に関する質問主意書”. 参議院 (2013年8月1日). 2020年8月25日閲覧。
  7. “参議院 本会議”. 第23号. 第183回国会. (2013-05-27). https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=118315254X02320130527&page=15&spkNum=36&current=1. "加賀谷健の質問主意書"
  8. “菅総理が公邸に住まないのは幽霊が出るから!?地震対応など危機管理上の問題を指摘する声も”. 公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園 (YouTube). (2021年2月26日). https://www.youtube.com/watch?v=xoGaRQjOzMA&t=339s 2021年3月1日閲覧。
  9. 石原信雄 1997.
  10. “首相、公邸住まいにためらい?”. 共同通信. (2020年10月9日). https://this.kiji.is/687248840551990369 2020年10月9日閲覧。
  11. “首相、なぜ議員宿舎に居住? 国は「公邸」を無料貸与 必ず住む決まりなし=回答・佐野格”. 毎日新聞. (2021年1月5日). https://mainichi.jp/articles/20210105/ddm/003/070/051000c 2021年1月16日閲覧。
  12. “「どうして公邸に入らないのか」理由を問われた首相は…”. 朝日新聞デジタル. (2021年1月25日). https://digital.asahi.com/articles/ASP1T4VGWP1TUTFK01B.html?iref=pc_ss_date_article 2021年1月26日閲覧。

参考文献

  • 大須賀瑞夫『首相官邸 今昔物語』朝日ソノラマ、1995年2月1日。ISBN 9784257034094。
  • 石原信雄『首相官邸の決断―内閣官房副長官石原信雄の2600日』中央公論〈中公文庫〉、2002年6月1日(原著1997年10月1日)。ISBN 9784122040397。 (原著 ISBN 9784120027246)
  • もっと知りたい: 北海道新聞
  • 『訳あり物件の見抜き方』(南野真宏 著、ポプラ社、2015年)

関連項目

外部リンク

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