神楽坂

神楽坂(かぐらざか)は、東京都新宿区牛込地域南西部に位置する。早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂である。坂の周辺の地名でもあり、神楽坂一丁目から六丁目がある。全域住居表示未実施。#町名の変遷を参照。江戸時代には、外堀に設置されていた牛込門に通じる交通の要衝だった[4]

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神楽坂
神楽坂(2017年9月27日撮影)
神楽坂
神楽坂の位置
北緯35度42分6.85秒 東経139度44分25.53秒
日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
地域 牛込地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
  合計 2,475人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
162-0825[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬
神楽坂と牛込門 歌川広重 1840年
幕末の牛込門と外堀

なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」[5]となる。またこの地名は東京メトロ東西線神楽坂駅都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われている。

名称の由来

神楽坂」の名称の由来について、『江戸名所図会 巻之四』(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる[4]。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。

特徴

神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂上←坂下」となり、通行する際は注意が必要である。逆転式一方通行となった背景に、その昔田中角栄目白台の自宅から永田町に出勤し(午前)帰宅する際(午後)に便を図ったからともいわれるが、これはタクシーの運転手によって広まった都市伝説である[6]。実際の理由としては、急激な交通量の増加で規制を求める声が上がり、その最中に通り沿いの陶器店に車が突っ込む交通事故が発生、これが元で規制が行われたものの周辺で大渋滞が発生したことから、1956年に都心から西側の住宅地に向けた一方通行となり、1958年に現在の逆転式一方通行になった[7]

周辺

神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれている。また関東大震災以後は、日本橋銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになった。山の手銀座と言われた[8]時期はこの時で、林芙美子や、矢田津世子の小説にも登場する。坂沿いには商店街が立ち並び、瀬戸物屋・和菓子屋など和を思わせるお店が中心であった。田山花袋は「電車がないから、山の手に住んだ人達は、大抵は神楽坂の通りへと出かけて行った」と記しており、都市交通網の整備によって、神楽坂から銀座や日本橋に殷賑の地が移って行ったと解している[9]2003年以後特にチェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、それとともに、夏目漱石の通った田原屋などの老舗が急速に減少しつつある。また周辺の住宅街でも次々にマンションが建設されており、昔からの風情は失われていっている。

表通りから一歩入ると静かな路地があり、住宅街のなかにレストランや料亭などが多く見られる。かつては江戸時代蜀山人、明治期に尾崎紅葉泉鏡花などが住み[10]、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっている。また、坂の周辺には毘沙門天善國寺をはじめ、若宮八幡赤城神社など多くの寺社が散在する。

周辺の学校には、東京理科大学法政大学があり、また、アンスティチュ・フランセ東京(旧・東京日仏学院)をはじめとし、フランス関係機関の多さから、フランス人をはじめ海外からの人も見うけられる。

坂下(飯田橋側)にあったパラパラの殿堂といわれたディスコ「ツインスター」(1992年開店)は2003年8月に閉店し、跡地は結婚式場兼フランス料理店に衣替えした。5丁目から矢来町にかけては、著名人なども住む高級住宅地と、昔ながらの人たちが住む住宅地が混在している。東京メトロ東西線神楽坂駅を過ぎ、矢来町へ進むと矢来能楽堂がある。休日には歩行者天国になり地元の商店街は多くの人でにぎわい、生活感のある風景がひろがる。

阿波踊り

毎年には神楽坂まつりのメインイベントとして阿波踊り大会が開催される。神楽坂まつりは昭和47年(1972年)に神楽坂商店会が中心となって始められ、阿波踊り大会もその時から行われている。参加団体が神楽坂を踊り歩き、周辺の津久戸小学校愛日小学校などの小学校や東京厚生年金病院も参加する。その他の参加団体には、かぐら連だむだん連などがある。徳島県杉並区高円寺から参加する団体もある。

町名の変遷

1871年 -1872年 -1879年 -1911年 -1951年 - (現行)
牛込神楽町一丁目神楽町一丁目神楽坂一丁目
牛込神楽町二丁目神楽町二丁目神楽坂二丁目
牛込神楽町三丁目神楽町三丁目神楽坂三丁目
宮比町 (一部)上宮比町牛込上宮比町上宮比町神楽坂四丁目
牛込肴町・寺地・武家地牛込肴町肴町神楽坂五丁目
牛込通寺町通寺町神楽坂六丁目

1947年までは牛込区に属していた。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
神楽坂一丁目 11世帯 28人
神楽坂二丁目 142世帯 226人
神楽坂三丁目 303世帯 458人
神楽坂四丁目 93世帯 176人
神楽坂五丁目 391世帯 708人
神楽坂六丁目 571世帯 879人
1,511世帯 2,475人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]

丁目番地小学校中学校
神楽坂一丁目全域新宿区立津久戸小学校新宿区立牛込第三中学校
神楽坂二丁目全域
神楽坂三丁目全域
神楽坂四丁目全域
神楽坂五丁目全域
神楽坂六丁目全域

交通

脚注

  1. 住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. 江戸名所図会 1927, p. 526.
  5. 坂下交差点はかつて牛込見附という名称の交差点
  6. 佐藤健太郎『国道者』新潮社、2015年11月25日、108頁。ISBN 978-4-10-339731-1。
  7. 東京新聞2012年6月6日朝刊最終面『東京トリビア「時間帯で一方通行が逆転 神楽坂に角栄伝説」』
  8. 『『江戸名所図会』でたどる新宿名所めぐり』新宿歴史博物館。
  9. 田山花袋『東京の三十年』(1917年)
  10. 『『路地裏の80軒 神楽坂』』エフジー武蔵。
  11. 通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

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