矛盾

contradiction を「矛盾」と訳すのは、明治時代井上哲次郎等著『哲学字彙』に由来する[1][2][注釈 1]。ただし、「矛盾」という語彙はそれ以前から日本語にあった[4]。翻訳語としての「矛盾」は中国語に逆輸入された[1]。なお、英語の contradiction には反論・反駁という意味もある[5]

矛盾(むじゅん)とは、複数の意味があり、

  • 中国の古典『韓非子』に出てくる「矛と盾」の故事の通称。
  • 上記に由来する故事成語、日常的な日本語。「物事の筋道や道理が合わないこと、つじつまが合わないこと、一貫性が無いこと」
  • 英語: contradictionドイツ語: Kontradiktion に対する翻訳語[1]
    • 論理学の基本的な用語。二つの命題が対立する状態、または「Aである、かつ、Aでない」状態。
    • 上記の用語に由来するヘーゲル哲学やマルクス主義の用語。弁証法における矛盾。主に社会や世界の状態に対して言う。

矛と盾

韓非子』難一篇に出てくる故事。「どんなも突き通す」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていたの男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。

楚人有鬻楯與矛者 譽之曰 吾楯之堅 莫能陷也 又譽其矛曰 吾矛之利 於物無不陷也 或曰 以子之矛 陷子之楯 何如 其人弗能應也『韓非子』難編(一)
楚人に盾と矛とを鬻(ひさ)ぐ者有り。之(これ)を誉(ほ)めて曰(い)はく、「吾が盾の堅きこと、能(よ)く陥(とほ)すなきなり。」と。また、その矛を誉めて曰はく、「わが矛の利(と)なること、物において陥さざるなきなり。」と。あるひと曰はく、「子の矛を以て、子の盾を陥さばいかん。」と。その人応ふること能(あた)はざるなり。

儒家批判

「矛盾」は、韓非が『韓非子』の中で儒家孔子孟子がその代表、ここでは孔子)批判のためのたとえ話の中で、「矛盾」という言葉を使ったもの。儒家は伝説の時代の聖王の「」と「」の政治を最高で理想だとし、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けたから堯は舜に禅譲したとした。しかし、韓非によれば、堯が名君で民を良く治めていたとすれば、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けるということはそもそも起こりえない。一方が立派な人物だとすれば他方はそうではなくなってしまう。したがって、両方の者が同じく最高の人物で、理想的な政治を行ったというのは話が合わず、あり得ないという意味を込めて批判的に矛盾の喩え話をした[6]。いわば、この話には、韓非が儒家徳治主義)の思想を批判し、自説の法家法治主義)の思想の正当性を主張しようという意図があったのである。

論理学における矛盾

まず命題論理における矛盾の定義を述べる:命題Pに対して、「Pかつ¬P」を矛盾という。

矛盾を利用した論法に背理法がある。この論法では、「Xである」を示す場合に、まず「Xでない」という架空の設定を考える。そして「Xでない」という架空の設定のもと論理を進め、何らかの矛盾を導く。矛盾が起こったのだからそれは「絶対にありえない事」だという事になるので、最初の「Xでない」がおかしかったのだという事になり、結論として「Xである」を得るのである。

(数学的な意味での)矛盾の興味深い性質として、矛盾を含む体系においてはどんな命題を導くこともできる、というものがある(爆発律 principle of explosion, ECQ)。背理法は、

命題¬φを仮定して矛盾が導けたら命題φを推論できる

と定式化できる。考えている体系において何らかの矛盾が成立していたとすると、形式的な仮定「¬B」をおいても(これは全く使わずに)矛盾を導けるということになる。従ってBの二重否定¬¬Bが推論できることになり、二重否定は無視できる(排中律)ことから結局Bが推論できたことになる。ただし、古典論理ではない直観論理などでは排中律背理法は成立しない。

弁証法における矛盾

ヘーゲル弁証法による影響で、中国の文書中で、矛盾を問題の意味で使用されることがある(階級矛盾、都市と農村の矛盾、など)。日本においても、主に左翼思想に影響を受けた人々の間で使用法を見ることができる。しかし21世紀の日本において、このような使用法は少なくなってきている。

脚注

注釈

  1. 1900年代の中国の翻訳家・厳復は「相滅」と訳している[3]

出典

  1. 林少陽「「矛盾」という概念 : 近代中国と近代日本の文脈において」『Language, Information, Text = 言語・情報・テクスト : 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻紀要』第14巻、2007年、 70頁、 doi:10.15083/00039296
  2. 朱京偉「明治期における近代哲学用語の成立 : 哲学辞典類による検証」『日本語科学』第12巻、国立国語研究所、2002年、 107;110、 doi:10.15084/00002093
  3. 加地伸行 『加地伸行著作集1 中国論理学史研究 経学の基礎的探求』 研文出版、2012年 [原著1983年]、346頁。ISBN 978-4876364022。
  4. 朱京偉「明治初期以降の哲学と論理学の新出語」『日本語科学』第18巻、国立国語研究所、2005年、 79頁、 doi:10.15084/00002146
  5. 村主朋英「情報と矛盾 : 世界の構成」『愛知淑徳大学論集. 人間情報学部篇』第2巻、2012年、 68頁。
  6. 金谷治訳注『韓非子』, 「難一」, pp. 254256

参考文献

関連項目

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