減封

減封(げんぽう)は、江戸時代においては大名旗本などの武士に課せられた刑罰を意味し、武士の所領や城・屋敷の一部を削減することをいう。また所領を分割相続することを分封、所領を没収されることを改易という。以下、江戸時代の減封について叙述する。

江戸時代の大名家の改易

減封の主な理由

大名の場合は武家諸法度に違反した時や跡継ぎがない時、跡継ぎがいても幼少であった時、家中に内紛があった場合の引責などがあげられる。また、譜代大名では幕府内の政争の結果としての減封も例が多い。

関ヶ原の戦いで敗れた大名家の改易・減封

(注)禄高順。同じ禄高の大名があれば五十音順。~は以降の意。

関ヶ原戦で西軍

大名通称・官名年月没収減封領地名・禄高動向・その後
吉川広家蔵人頭1600.10.10出雲富田14.2万石→3万石岩国藩[1]
毛利輝元中納言1600.10.10安芸広島112.0万石→29.8万石長州藩[2]
毛利秀元甲斐守1600.10.10周防山口20万石→5万石長府藩
上杉景勝中納言1601.8.16陸奥会津120万石→30万石米沢藩

関ヶ原戦で中立

大名通称・官名年月没収減封領地名・禄高動向・その後
佐竹義宣右京大夫1602.5.8常陸水戸54.5万石→20.5万石久保田藩[3]
秋田実季秋田城介1602.7.27出羽秋田19万石→5万石常陸宍戸藩

江戸時代に減封、分封に遭った大名

年代順。

大名通称・官名年月没収減封領地名・禄高動向・その後
日根野吉明織部正1602.7.27信濃高島2.8万石→1.2万石壬生藩主 幼少
大島光義 - 1604.8.23美濃1.8万石→1.65万石(分与により廃藩)旗本 嗣子幼少 分封
西尾吉次隠岐守1606.8.26武蔵原市1.2万石→0.5万石白井藩主 無嗣
池田利隆侍従1616.6.13播磨姫路42万石→32.5万石鳥取藩 嗣子幼少
成田泰親 - 1616.12.18下野烏山3.7万石→1万石烏山藩主 嗣子幼少
本多正重 - 1617.8.26下総舟戸(相馬)1万石→0.8万石旗本 嗣子幼少
近藤政成信濃守1618.6.22信濃近藤1万石→0.5万石旗本 嗣子幼少
福島正則参議1619.6.2安芸広島49.8万石→4.5万石高井野藩主 武家諸法度違反
土岐定義山城守1619.10摂津高槻2万石→1万石下総相馬藩主 嗣子幼少
市橋長勝下総守1620.3.27越後三条4.13万石→2万石三条藩主 無嗣廃絶
最上義俊 - 1622.8.18出羽山形57万石→1万石大森藩主 家中内紛
滝川正利壱岐守1625.10.10常陸片野2万石→0.2万石旗本 病弱
松平重忠丹後守1626.7.11出羽上山4万石→3万石三田藩主 養子相続
松下長綱石見守1628.1.22陸奥二本松5万石→3万石三春藩主 幼少
内藤正勝 - 1629.8.3安房勝山2万石→0.5万石旗本 嗣子幼少
近藤秀用石見守1631.2.6遠江井伊谷1.7万石→(分与により廃藩)旗本 分封
最上義俊 - 1631.11.22近江大森1万石→0.5万石旗本(減封2回目)
長谷川守知式部大輔1632.11.26美濃長谷川1万石→(分与により廃藩)旗本 分封
鳥居忠恒伊賀守1636.7.7出羽山形22万石→3万石高遠藩
蒔田広定左衛門権佐1636.8.23備中浅尾1万石→(分与により廃藩)旗本 分封
京極忠高左近衛権少将1637.6.12出雲松江26.4万石→6万石龍野藩主 無嗣
寺沢堅高兵庫頭1638.4.12肥後天草12.3万石→8.3万石天草藩島原の乱
片桐孝利出雲守1638.11.29大和竜田4万石→1万石杵築藩主 無嗣
三枝守全隠岐守1639.閏11.29安房安房三枝1万石→0.7万石(分与により廃藩)旗本 分封
池田輝澄侍従1640.7.26播磨山崎6.3万石→1万石鳥取藩預かり鹿野領主 家中内紛
生駒高俊壱岐守1640.7.26讃岐高松17.18万石→1万石矢島藩主 家中内紛(生駒騒動
那須資重美濃守1642.7.25下野那須1.4万石→0.5万石旗本 無嗣
一柳直家美作守1643.3.15播磨小野2.86万石→1万石小野藩主 無嗣
加藤明成式部少輔1643.5.2陸奥会津40万石→3万石吉永藩主 家中内紛
加藤明利民部大輔1643.5.2陸奥二本松3万石→0.3万石旗本 家中内紛
杉原重長伯耆守1645.5.26但馬豊岡2.5万石→1万石豊岡藩主 無嗣
柳生宗矩但馬守1646.3.26大和柳生1.25万石→(分与により一時廃藩)旗本 分封
内藤信広石見守1648.6安房内藤1.5万石→0.55万石旗本 家臣に連座
平岡頼資石見守1653.7.5美濃徳野1万石→0.2万石旗本 相続争い
片桐為次 - 1656.2.19大和竜田1万石→0.3万石旗本 無嗣
生駒高俊壱岐守1659.6.16出羽矢島1万石→0.8万石旗本 分封
上杉綱勝播磨守1664.6.5出羽米沢30万石→15万石米沢藩主 無嗣
奥平昌能大膳亮1668.8.3下野宇都宮11万石→9万石山形藩主 幕法違反
池田邦照 - 1670.3.27播磨新宮1万石→0.3万石交代寄合 無嗣
土井利久 - 1675.5.30下総古河10万石→7万石古河藩主 無嗣
新庄直矩 - 1676.6.21常陸麻生2万石→1万石麻生藩主 無嗣
土井利直信濃守1677.6.27下総大輪1万石→0.5万石旗本 養子相続
土屋直樹伊予守1679.8.7上総久留里2万石→0.3万石旗本 乱心
戸川安風 - 1679.11.27備中庭瀬2万石→0.5万石旗本 無嗣
堀通周市正1679.12.11常陸玉取1.2万石→0.3万石交代寄合 乱心
永井尚長信濃守1680.7.9丹後宮津7.3万石→1万石大和新庄藩主 刃傷
板倉重種内膳正1682.2.10武蔵岩槻6万石→5万石坂木藩主 家中内訌
松平直矩侍従1682.2.10播磨姫路15万石→7万石日田藩越後騒動
松平近栄上野介1682.2.10出雲広瀬3万石→1.5万石広瀬藩主 越後騒動
本多利長越前守1682.2.22遠江横須賀5万石→1万石村山藩主 失政
本多政利出雲守1682.2.22播磨明石6万石→1万石岩瀬藩主 失政
堀田正英対馬守1688.9.22常陸北条1.3万石→0.3万石旗本 幕法違反
坂本重治内記1689.6.4相模深見1万石→0.22万石旗本 勤務不良
本多忠周伊予守1689.6.4三河足助1万石→0.7万石旗本 勤務不良
鳥居忠則兵部少輔1689.8.10信濃高遠3万石→1万石能登下村藩主 家臣に連座
松平忠弘侍従1692.7.21陸奥白河15万石→10万石山形藩主 家中内訌
松平忠之日向守1693.11.25下総古河8万石→3万石庭瀬藩主 乱心
西郷寿員越中守1693.12.9下野上田1万石→0.5万石交代寄合 勤務不良
水谷勝美出羽守1693.12.21備中松山5万石→0.3万石旗本 無嗣
織田信武出雲守1695.2.5大和松山2.8万石→2万石柏原藩主 宇陀崩れ
水野勝岑 - 1698.5.30備後福山10.1万石→1.8万石結城藩主 無嗣
小笠原長胤修理大夫1698.7.27豊前中津8万石→4万石中津藩主 不行跡
丹羽氏音和泉守1702.6.22美濃岩村1.9万石→1万石高柳藩主 家中内訌
井伊直朝伯耆守1705.12.3遠江掛川3.5万石→2万石与板藩主 乱心
本多忠孝 - 1709.9.21越後村上15万石→5万石刈谷藩主 無嗣
屋代忠位越中守1712.7.21安房北条1万石→0.3万石旗本 失政
本多忠村 - 1722.11.5大和郡山11万石→5万石郡山藩主 無嗣
内田正偏信濃守1724.10.29下野鹿沼1.3万石→1万石小見川藩主 乱心
京極高寛 - 1726.9.19但馬豊岡3.3万石→1.5万石豊岡藩主 無嗣
松平浅五郎 - 1726.11.18美作津山10万石→5万石津山藩主 無嗣
松平乗邑侍従1745.10.10下総佐倉7万石→6万石山形藩主 越権
植村恒朝長門守1751.10.12上総勝浦1万石→0.2万石小普請 不正
安藤信尹対馬守1755.2.4美濃加納6.5万石→5万石磐城平藩主 不行跡
稲葉正明越中守1786.8.27安房館山1.3万石→1万石館山藩主 田沼意次に連座
田沼意次侍従1786.閏10.5遠江相良5.7万石→3.7万石相良藩主 政争
田沼意次侍従1787.10.2遠江相良3.7万石→1万石相良藩主 政争
松前章広若狭守1807.3.22蝦夷松前1万石→0.9万石梁川藩主 減封
仙石久利讃岐守1835.12.9但馬出石5.8万石→3万石出石藩主 仙石騒動
林忠英出羽守1841.4.17上総貝淵1.8万石→1万石貝淵藩主 政争
水野忠邦侍従1845.9.2遠江浜松7万石→5万石山形藩主 政争
堀親寚侍従1845.9.2信濃飯田2.7万石→1.7万石飯田藩主 水野忠邦に連座
本郷泰固丹後守1859.10.27駿河川成島1万石→0.5万石旗本 政争
久世広周大和守1862.8.16下総関宿6.8万石→5.8万石関宿藩主 政争
酒井忠義修理大夫1862.閏8.14若狭小浜11.3万石→10.3万石小浜藩主 政争
安藤信民 - 1862.11.20陸奥磐城平6万石→4万石磐城平主 政争
井伊直憲左近衛権中将1862.11.20近江彦根30万石→20万石彦根藩主 政争
久世広文出雲守1862.11.20下総関宿5.8万石→4.8万石関宿藩主 政争
間部詮勝侍従1862.11.20越前鯖江5万石→4万石鯖江藩主 政争
堀親義若狭守1864.12.25信濃飯田1.7万石→1.5万石飯田藩主 勤役懈怠
戸田忠恕越前守1865.1.25下野宇都宮7.7万石→5万石
(山陵修繕による功労により未実施)
棚倉藩主 家臣に連座
毛利敬親権大納言1866.5.1長門萩(長州)36.94万石→26.94万石
第二次長州征伐失敗により未実施)
長州藩禁門の変

備考

いったん改易の後、存続を許された事例も減封として含めた。

関連項目

脚注

  1. のち高直しで3万石
  2. 慶長15年(1610年)に高直しで36.9万石
  3. 石高が確定するのは2代藩主・佐竹義隆の代
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