汪中

汪 中(おう ちゅう、乾隆9年12月20日1745年1月22日) - 乾隆59年11月20日1794年12月12日))は、中国代の儒学者考証学者。は容甫。揚州府江都県の出身。

汪中

略歴

1777年乾隆42年)に貢生に推挙されたが、母親の高齢を理由に辞退、後に畢沅が両湖総督として着任した際にその胥吏となっている。駢文の名手でもあり[1]、「漢上琴台之銘」と「黄鶴楼銘」を著し人々に広く愛唱された。また浙江の文宗閣において四庫全書の校訂に当たった。西湖の僧舎で没した。

経学の造詣が深く顧炎武の経論を重んじ、同時代の戴震梅文鼎などから尊敬されている。その内容は宋学と漢学を兼備したバランスのとれた考証学を形成していた。その文章は韓愈欧陽脩より漢魏六朝時代のものを模範としていた。『老子』『墨子』などの諸子学でも功績を残しており、特に墨子を孔子と並ぶ存在として賞揚していた[1]

著書

  • 『述学内外篇』6巻
    • 「老子考異」「墨子序」などを収録
  • 『遺詩』1巻
  • 『広陵通典』10巻
  • 『経義知新記』1巻
  • 『大戴礼正誤』1巻
  • 『左氏春秋釈義』1巻
  • 『周官徴文』1巻

参考

  • 『清史列伝』268[2]

脚注

  1. 坂出祥伸・平凡社世界大百科事典 第2版『汪中』 - コトバンク
  2. 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:清史稿/卷481
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.