暦仁

暦仁(りゃくにん、旧字体曆仁)は、日本元号の一つ。嘉禎の後、延応の前。ユリウス暦で1238年-1239年の期間を指す。この時代の天皇四条天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼経執権北条泰時

日本の元号の中では最も使用日数が短く、約2か月半しか使用されなかったが、年を跨いでいるので2年まである。

元年の内に改元された中で最短なのは朱鳥7月20日 - 10月3日)の同じく約2か月半であり、厳密的にはこちらの方が短いと判断される余地があるが、九州年号などでは「朱鳥10年(695年)」まで使用された記録が残っているため、一概に最短とは判定できない[1]。朱鳥を除くと、元年の内に改元された最短の元号は天平感宝の約3か月(749年)。

改元

撰進者は藤原経範であるが、『百錬抄』によれば、世間では「暦仁=略人」すなわち、この世から人々が略される(=死んで消えてしまう)とする風評が発生したために再び改元を実施したとある(ただし、詔書では「変災」を理由としている)[2]

出典

隋書」(音楽志下)の「皇明馭海県」より。

暦仁期におきた出来事

西暦との対照表

※は小の月を示す。

暦仁元年(戊戌一月※二月閏二月※三月四月※五月※六月七月※八月九月※十月十一月十二月
ユリウス暦1238/1/182/163/184/165/166/147/138/129/1010/1011/812/81239/1/7
暦仁二年(己亥一月※二月三月※四月五月※六月※七月八月※九月十月※十一月十二月
ユリウス暦1239/2/63/74/65/56/47/38/18/319/2910/2911/2712/27

脚注

  1. 『朱鳥』の後は一旦廃止され、701年に『大宝』として復活するまでの間において元号の廃止に反対する勢力が途中の695年まで便宜的に継続使用していただけとする説もある。
  2. 北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。

関連項目

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