小烏丸

小烏丸、あるいは小烏(こがらすまる、こがらす)は、奈良時代末期から平安時代中期に作られたとされる日本刀太刀)。皇室の私有財産(御物)であり、国立文化財機構が保管している[注釈 1]。本項では平家一門の家宝であり、皇室御物の小烏丸(無銘)について記す。

小烏丸
指定情報
種別 御物
基本情報
種類 太刀
時代 奈良時代末期から平安時代中期
刀工 伝・天国
刃長 62.8 cm、茎長 19.9 cm
反り 1.2 cm、茎反 0.6 cm
元幅 3.25 cm
元重 0.7 cm

概要

平安時代中期の間に作られたと推定される鋒両刃造であり、刀工は「天国」(あまくに)作と伝えられる。

名称の伝来について刀剣研究家の福永酔剣は以下の3つの説を述べている[1]

  • 桓武天皇の元に烏が伊勢神宮の使いとして降りてきて、刀を落としたという伝承
  • 平貞盛が天慶2年(939年)に平将門の乱にて朝廷より拝領し、8人に分身した将門のうち一人の兜についていた烏の像を切った物語
  • 幕末の国学者によって唱えられた、小韓スキが小韓スになったとする文字遊び

後に平貞盛承平天慶の乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、以後平家一門の重宝となる[2]。平家が滅びた壇ノ浦の戦いの後、行方不明になったとされたが、その後江戸時代の天明5年(1785年)になり、平氏一門の流れを汲む伊勢氏[注釈 2]で保管されていることが判明し、伊勢家より刀身及び刀装と伝来を示す「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀図」の文書が幕府に提出された。この「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀」は伊勢家より徳川将軍家に献上されたものの、将軍家はそのまま伊勢家に預け、明治維新後に伊勢家より対馬国宗氏に買い取られた。

明治15年(1882年)3月に宗家当主の宗重正伯爵より明治天皇に献上された[3]。現在はこれが皇室御物であり平家伝来の「小烏丸」として、外装共に宮内庁委託品として国立文化財機構で保管されている。なお、江戸初期に本阿弥光悦が押形をとっており、それによれば「大宝□年□月日 天国」と銘があるが、こちらには銘がない。

刀身・外装

『集古十種』より

刃長62.8センチメートル、刀身反1.2センチメートル、茎反0.6センチメートル、元幅3.25センチメートル、元重0.7センチメートル、茎長19.9センチメートル[4]。腰元から茎にかけ強く反っているが、上半身にはほとんど反りが付かない。鎬は後世の日本刀と異なり、刀身のほぼ中央にあり、表裏の鎬上に樋(ひ)を、棟方に掻き流しの薙刀樋(なぎなたひ)を掻く。地鉄は小板目肌が流れごころとなり、刃文は直刃(すぐは)で刃中の働きが豊かなものである。刀工「天国」作との説があり、「天国」の銘があったとの伝承もあるが、現存するものは生ぶ茎(うぶなかご)、無銘である。

刀身と併せて、柄・鞘共に紺地雲龍文様の錦で包み、茶糸平巻で柄巻と渡巻を施した「錦包糸巻太刀拵」様式の外装が付属しているが、この外装は明治時代の作である。寛政十二年(西暦1800年)に編纂された「集古十種」には「伊勢貞丈家蔵小烏丸太刀図」(後述)より転載された蜀江錦包の刀装の絵図が収録されており、現在の外装はそれらを参考に作り直されたものとみられる。

小烏造(鋒両刃造)

小烏丸は「鋒両刃造」(きっさきもろはづくり)と呼ばれる造りとなっており、鋒(切先とも、刀身の先端部分を指す)が両刃となった独特の造込みとなっている[5]。 これは奈良末期から平安時代中期にかけて、主に刺突を目的とした直刀から切断を目的とした湾刀の過渡期に双方を目的として考案されたもので、この造込みの代表作が小烏丸であることから小烏造(こがらすづくり)とも呼ばれている[5]

正倉院宝物の直刀の中には鋒両刃造のものがある。御物の「小烏丸」の他にも鋒両刃造の太刀は幾振りか現存しており、各地・各時代の刀工が研究のため写しとして製作していたようである。兵庫県加東市清水寺には征夷大将軍大納言坂上田村麻呂が寄進したとされる「大刀 三口、附 拵金具 十箇」が現存しており、3口のうち二号大刀と三号大刀が鋒両刃造である。いずれも直刀から彎刀へと変遷する過程のものとして極めて資料的価値が高く重要文化財に指定され、『集古十種』にも「坂上田村麿剣」として所載されている[6]

大日本帝國時代には「小烏丸」は時の天皇より朝敵討伐に赴く将に与えられた、という故事に基づき、日本陸海軍元帥号を授けられた大将に下賜される「元帥刀」の刀身にも、「鋒両刃造の太刀」の様式が用いられていた。現在でも「鋒両刃造の太刀」は現代刀の様式の一つとして作刀されているものがあり、上述の「元帥刀」の他にも「靖国神社遊就館」の展示刀や新潟県新発田市の「月岡カリオンパーク」内の「カリオン文化館」の展示品(人間国宝認定刀工天田昭次の作刀)などを見ることができる。数は少ないながら、刀剣店で取り扱われる刀剣類としても時折見られる様式である。

同名の刀

福永によると、源為義が秘蔵の日本刀である獅子の子に似せて作らせた源氏の重宝としての日本刀の物語が紹介されている[1]。それによると、元々は獅子の子より二分(0.6センチメートル)長かったものの、獅子の子が小烏に倒れ掛かったことで切り落とされてしまい、同じ長さになった[1]。その後小烏は義朝に贈られ、義朝の死後平清盛のもとに渡ったとされるも。福永はこの話を十節と相いれないものとして扱っている[1]

脚注

注釈

  1. 御物とは、皇室経済法第7条に規定する「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(いわゆる御由緒物)のことである。
  2. 室町幕府では政所執事などを務めた名門。武家礼法『伊勢礼法』創始の有職故実の家。江戸期は幕府旗本となっていた。

出典

  1. 福永 1993, p. 229.
  2. 明治天皇の刀剣コレクション② - 刀剣ワールド 2019年10月13日閲覧
  3. 東京国立博物館、宮内庁、NHK 『御即位10年記念特別展 皇室の名宝 美と伝統の精華』 NHK、1999年、347頁。 NCID BA45625923
  4. 本間順治; 佐藤貫一 『日本刀大鑑 古刀篇1【図版】』 大塚巧藝社、1968年7月、162頁。 NCID BA38019082
  5. 日本刀の種類①(太刀) - 刀剣ワールド 2019年10月13日閲覧
  6. “国指定文化財データベース”. 文化庁. 2017年9月17日閲覧。「大刀」より

参考文献

  • 福永酔剣 『日本刀大百科事典』 2巻 雄山閣出版、1993年11月20日。ISBN 4639012020。 NCID BN10133913
  • 特別展図録『日本のかたな』、東京国立博物館、1997
  • 『週刊朝日百科』「皇室の名宝 11 御物1」、朝日新聞社、1999
  • 別冊宝島2646号『日本刀図鑑』、宝島社、2015、32頁

関連項目

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