大阪市立新今宮小学校・今宮中学校

大阪市立新今宮小学校・今宮中学校(おおさかしりつ しんいまみやしょうがっこう・いまみやちゅうがっこう)は、大阪府大阪市西成区にある公立小中一貫校。愛称は「いまみや小中一貫校」。

大阪市立新今宮小学校・今宮中学校
(いまみや小中一貫校)
過去の名称 (中学校)大阪市立西成第二中学校
国公私立 公立学校
設置者 大阪市
併合学校 大阪市立弘治小学校
大阪市立萩之茶屋小学校
大阪市立今宮小学校
大阪市立新今宮中学校
設立年月日 中学校:1947年昭和22年)
小学校・小中一貫校:2015年平成27年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 557-0016

北緯34度38分54.2秒 東経135度29分53.9秒
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:学校/中学校テンプレート

概要

西成区の北東部を校区としている。地域の児童数の減少に伴い2015年平成27年)に既存3小学校を統合し、新たに小学校「大阪市立新今宮小学校」を「大阪市立今宮中学校」の敷地に併設。小中一貫校として出発した。

改編前の今宮中学校は、太平洋戦争後の1947年昭和22年)の学制改革とともに創立。大阪市および西成区で最初の中学校の一つだった。

教育目標

  • <自主>だれからも干渉されたり他人に左右されたりすること無く、独立した強い意思と信念を持って行動すること
  • <協調>お互いに独りよがりにならず譲り合えるところは譲り合い、みんな仲良く楽しく助け合って生活すること
  • <健康>私たちの楽しい生活の基礎であり、病気にならず怪我をせず健やかに成長すること

沿革

前身の小学校3校

明治時代の学制発布により、当時の今宮村に小学校(現在の浪速区恵美小学校)が設置された。今宮村は1896年(明治29年)、大阪市の第一次市域拡張により、北部が大阪市に編入された。今宮村に小学校がなくなったため、引き続き恵美校に児童を委託していた。

今宮村の分割・再編2年後の1898年に新たな今宮村の小学校として、今宮小学校(のちの弘治小学校)が開校した。今宮村の人口の増加に伴い、1917年大正6年)町制の施行された今宮町に今宮第三(のち萩之茶屋)、1921年に今宮第四(のち今宮)の各小学校も開校した。今宮第三(萩之茶屋)小学校は今宮(弘治)・今宮第二(長橋)の両校の校区再編で、今宮第四(今宮)小学校は今宮(弘治)・今宮第三(萩之茶屋)両校の校区再編で、それぞれ設置された。

今宮町の大阪市への編入、戦後の学制改革を経て、1947年以降は大阪市立弘治小学校・大阪市立萩之茶屋小学校・大阪市立今宮小学校となった。

今宮中学校

大阪市および西成区で最初の中学校の一つとして、1947年学制改革とともに創立した。

1947年に大阪市立弘治小学校(当時の西成区花園町。現在は西成区花園北2丁目、花園交差点北東角)内に設置の仮校舎で開校した。翌1948年に校区の一部を、新設の大阪市立西成第四中学校(現在の大阪市立鶴見橋中学校)の校区へ変更し、現在の校区となった。

校名については、当初は「大阪市立西成第二中学校」の仮称で出発した。その後大阪市立の新制中学校について番号による仮称ではなく、地名などを取り入れた名称へと変更となり、1949年に現校名に改称している。

校名の案としては、弘治小学校内に仮校舎を設置していたことから「弘治」、校区内の地名から「花園」「萩」などが挙げられた。しかし当時、独立校舎の設置場所が未定だったことから、「弘治小学校校区外に移ることもあり得る」として「弘治」案は不採用になった。「花園」は西区の花園(現在の西区千代崎)と紛らわしいとして、また「萩」は山口県と紛らわしいとして不採用になった。そのため、一帯を広く指す旧地名の「今宮」が採用された。

あいりん学園(新今宮小学校・新今宮中学校)

1962年には校区内のあいりん地区の不就学生徒への対策のため、萩之茶屋小学校・今宮中学校の分校「あいりん学園」を設置した。翌1963年に「大阪市立あいりん小中学校」として独立し、さらに1973年には萩之茶屋1丁目9番に独立校舎を構えて移転し「大阪市立新今宮小学校・中学校」と改称した。

その後、歴史的役割を終えたとして1981年に小学校が、1984年に中学校が廃校(閉鎖)となった。新今宮小の学校事務は萩之茶屋小学校が、新今宮中の学校事務は今宮中学校が引き継いだ。なお、新今宮小中学の跡地は老人憩いの家、救護施設三徳寮(大阪自彊館)[1]などに使われている。

小中一貫校化

地域の児童の減少傾向は平成時代に入っても止まらず、西成区も1980年代に約2万人いた中学生以下の子供の数が約8500人まで落ち込んだ。結果、前身の小学校3校は2000年代に1学年1学級の小規模校となり、年度によっては複式学級まで導入される状況となった。

このため小学校の統廃合が検討され、具体化した。一方、2013年大阪市が実施した住民アンケートでは、「子育てしやすく教育環境が充実している」と答えた西成区民は25.4%のみで、阿倍野区住吉区など50%超えに比べ半分以下という低い状況だった。そこで統廃合に合わせ、「西成活性化の起爆剤として」[2]小中一貫校への改編が計画された。

その際、一部の弁護士が、橋下徹大阪市長の掲げる「西成特区構想」に絡めて廃校に反対の運動を起こした。それに対し近隣の大阪府立今宮高等学校を念頭に、橋下市長は「いっそのこと小中高一貫校としてもっとポジティブなスーパーエリート校にしては」と述べ[3]大阪市教育委員会も「地元の府立今宮高に進学できる特別枠の設定についても検討を進めている」「保護者の支持も得られるはず。府教委と協議したい」とコメントしている。実現すれば全国初の「公立の小中高12年間一貫校」となる[4]

その後、あいりん地区の環境整備5カ年計画が2014年4月に始まり「通学路、公園などの環境改善が不可欠」と位置づけられた。通学路に覚醒剤注射器が落ちている状況だったが、路上密売人も一掃され、ごみの不法投棄も減少した。これは、いまみや小中一貫校開校の果たした影響が小さくない、と産経新聞は報じている[2]

年表

  • 1947年昭和22年) - 4月1日、「大阪市立西成第二中学校」開校
  • 1948年 - 4月1日、大阪市立西成第四中学校の新設(現・大阪市立鶴見橋中学校)に伴い、校区の一部を分離
  • 1949年 - 6月、「大阪市立今宮中学校」に改称。西成区東四条町(当時の住所表示)に移転(現在地)
  • 1957年 - 7月、プール完成
  • 1962年 - 分校「あいりん学園」を設置(のちの大阪市立新今宮中学校)
  • 1971年 - 10月、ソニー教育財団から理科教育について全国最優秀校を受賞
  • 1972年 - 9月 - ランゲージ・ラボラトリー(LL)教室完成
  • 1976年 - 10月 - 食堂設置
  • 1984年 - 3月 - 新今宮中学校の閉校に伴い、同校の事務を継承
  • 2000年平成12年) - 3月 - 体育館落成
  • 2015年 - 3小学校を統合した新今宮小学校を敷地内に併設し、小中一貫校に改編

通学区域

特認校制度により、大阪市内全域からの入学が可能となっている。

  • 大阪市西成区 太子、萩之茶屋、花園北、花園南1丁目の一部、出城1丁目の一部、長橋1丁目の一部、鶴見橋1丁目の一部、旭1丁目の一部、梅南1丁目の一部、天下茶屋北、天下茶屋1丁目の大半、天下茶屋2・3丁目の一部、天下茶屋東の一部。(弘治地域・萩之茶屋地域・今宮地域)

出身者

(弘治小学校)

(今宮中学校)

交通

脚注

  1. 1977年愛隣総合センター周辺地図 (日本語). 釜ヶ崎資料センター (2014年8月9日). 2020年9月7日閲覧。
  2. 【変わる西成あいりん(4)】「少子化」も突出…登場したハイレベル小中一貫校、街は賑わうか (日本語). 産経新聞 (2015-05-105). 2020年9月7日閲覧。
  3. 公立校でも進む小中一貫校 〝中1ギャップ〟解消の決め手? (日本語). 大阪日日新聞 (2014年8月9日). 2020年9月7日閲覧。

関連項目

外部リンク

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