大名県

中華人民共和国 河北省 大名県
興化寺大寂光殿
興化寺大寂光殿
邯鄲市中の大名県の位置
邯鄲市中の大名県の位置
中心座標 北緯36度18分 東経115度09分
簡体字 大名
繁体字 大名
拼音 Dàmíng
カタカナ転写 ダーミン
国家  中華人民共和国
河北
地級市 邯鄲市
行政級別
建置 南北朝時代
改称 1913年
面積
総面積 1052 km²
人口
総人口() 74 万人
経済
電話番号 0310
郵便番号 056900
行政区画代碼 130425
公式ウェブサイト http://dm.hd.gov.cn/

大名県(だいめい-けん)は中華人民共和国河北省邯鄲市に位置する

歴史

南北朝時代東魏により設置された貴郷県を前身とする。580年大象2年)には北周により魏州州治とされ、隋代大業年間には武陽郡郡治とされた。その後唐代には662年武徳4年)に魏州(662年から672年は冀州と改称)の州治とされた。

五代十国時代になると、923年同光元年)、後唐により広晋県とされ広晋府府治とされた。948年乾祐元年)には後漢により大名県と改称され大名府府治とされている。

宋代になると、「四京」の一つとして副都でもある大名府(北京大名府とも)が設置され大名県はその府治とされた。大名府は河北東路の首府でもあり、燕雲十六州を支配下に置く遼朝に対抗する軍事的要衝として重要視された。同時代を舞台にした『水滸伝』では、北京大名府は盧俊義燕青などの登場人物が暮らす大都会として描写されている。大名県は1073年熙寧6年)に廃止され元城県に編入されたが、1096年紹聖3年)に再設置されている。

その後華北全域を支配するようになると、国境の軍事拠点としての大名府の重要性は失われたが、元代には大名路路治、清代には大名府府治とされた。明代の1377年(洪武10年)に大名県は廃止となり魏県に編入されているが、1382年(洪武15年)に再設置され、現在に至る。

大名府故城

大名市街の北東郊外にある大街郷にはいまもかつての大名府の遺跡が残る。宋の仁宗の治世である慶暦二年(1042年)、大名府は「北京」として、「東京」(開封府、現在の開封市)の陪都となった。この後、宰相の呂夷簡により大名府は拡大され、宮城をそなえる大都市となった。しかし北宋以後は大名府はしだいに衰落の道をたどり、朝の洪武三十四年(1401年)、漳河衛河の洪水で水に浸かり放棄された。同年、艾家口に大名府が移転・再建された。これが現在の大名市街である。廃墟となった宋代の大名府故城には、宮殿の基壇や官庁街・住宅街の町割りがよく残っており、2006年に中国国務院によって全国重点文物保護単位に指定された。

大名府の建築と規模は広壮であり、四つの殿閣、十四座の城門、二つの水関があった。外城は「京城」といい、外周は四十八里二百有六歩の長さで、九座の城門があった。宮城あるいは内皇城は、外周の長さは三里一百九十八歩で、五個の城門があった。

行政区画

  • 鎮:大名鎮、楊橋鎮、万堤鎮、竜王廟鎮、束館鎮、金灘鎮、沙圪塔鎮、大街鎮、鋪上鎮、孫甘店鎮
  • 郷:王村郷、黄金堤郷、旧治郷、西未荘郷、西付集郷、埝頭郷、北峰郷、張集郷、紅廟郷
  • 民族郷:営鎮回族郷

過去に存在した区画

中国地名の変遷
建置 南北朝時代
使用状況 大名県
南北朝貴郷県
貴郷県
貴郷県
五代貴郷県
広晋県(後唐)
大名県(後漢)
北宋/大名県
南宋/大名県
大名県
大名県
大名県
中華民国大名県
現代大名県
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