声聞師

声聞師(しょうもじ)は、中世12世紀 - 16世紀)期に存在した日本の芸能者である[1][2][3]陰陽師の文化を源流とした読経曲舞卜占猿楽等の呪術的芸能、予祝芸能を行った[1][2][3]。「声聞師」は「しょうもんじ」「しょもじ」とも読み、また同様の読みで、唱門師唱聞師聖問師唱文師誦文師とも漢字標記した[1][2][3]江戸時代17世紀 - 19世紀)に盛んになった「門付」芸能の源流でもあり[4]大和猿楽から発展し、能楽に発展させた観阿弥世阿弥をも生むことになる[5]

略歴・概要

「声聞師」の行う芸能は、古代日本の律令制7世紀 - 10世紀)において、中務省陰陽寮に属した技官である陰陽師の文化を継承、あるいは模倣したものである[1][2]。したがって、もともと陰陽師であった、あるいは下級の陰陽師であるとされるが、実際のところは定かではない[1][2][3]。陰陽寮における陰陽師の定員は「6名」であり、各地に散らばる「声聞師」の数はそれを大幅に上回っている。いずれにしても、「声聞師」とは、技官でもなければ、聖職者でもない、職業芸人である[1][2][3]渡辺昭五は、「声聞師」の語源を「声聞身」(仏弟子の姿)であるとし、実態としては、荘園本所で夫役労働を行っていた被差別層であるとする[6]

室町時代14世紀 - 16世紀)には、寺に属しあるいは没落して民間に流れ、その活動が活発化する[1]15世紀尋尊が記した日記である『大乗院寺社雑事記』によれば、大和国奈良興福寺では、「五ヶ所」「十座」といった集団的居住地「声聞師座」を形成し、同寺に所属する「声聞師」たちがそこに生活の根拠を置いた[1][3]。同寺に属する「声聞師」たちは、「猿楽」、「アルキ白拍子」(漂泊する白拍子)、「アルキ御子」(漂白する巫女)、「鉢タタキ」(鉢叩)、「金タタキ」(鉦叩)、「アルキ横行」(漂白する横行人)、「猿飼」といった国内の「七道者」を支配し、各地から来た彼らから金銭を受け、そのかわりに巡業の手配を行ったとされる[1][7]。自らは、「陰陽道」のほか、釈迦の説法である「金口」、「暦星宮」、「久世舞」(曲舞)、「盆・彼岸経」、「毗沙門経」(毘沙門経)等の芸能をもって生業としたとされる[1]。この時期、興福寺や春日大社法隆寺での猿楽を行った「声聞師座」(大和四座)は、

であり、「結崎座」からは観阿弥・世阿弥、「円満井座」からは金春禅竹らが登場し、やがて猿楽を能楽へと発展させた[5]

同じ時代、日吉大社には「上三座」「下三座」の近江猿楽があった[8]

上三座
  • 山階村(現在の滋賀県長浜市山階町) - 「山階座」
  • 下坂村(現在の滋賀県長浜市下坂地区) - 「下坂座」
  • 坂本村(現在の滋賀県大津市坂本) - 「比叡座」
下三座
  • 敏満寺村(現在の滋賀県犬上郡多賀町敏満寺) - 「敏満寺座」
  • 大森村(現在の滋賀県東近江市蒲生大森町) - 「大森座」
  • 酒人村(現在の滋賀県甲賀市水口町酒人) - 「酒人座」

が存在したが、室町時代末期には衰退した[8]

この時代の奈良の曲舞座の芸人たちを「声聞師」と呼び、京都では「散所非人」と呼ばれた[9]。『東寺巷所検注取帳』(応永3年、1370年)によれば、14世紀の京都では、「八条猪熊と堀川間の南頬」(現在の南区西九条藤ノ木町・西九条池ノ内町あたり)等に「声聞師」の「屋敷」があったという[10]1423年11月(応永30年10月)、近江国(現在の滋賀県)、河内国(現在の大阪府)、美濃国八幡(現在の岐阜県美濃市)等の「声聞師」たちを京都に呼び集め、亭子院楊梅小路(現在の楊梅通)、六道珍皇寺矢田寺、六角堂(頂法寺)等で「勧進曲舞」を行った記録が残っている[11]

戦国時代(16世紀)の宮廷では、陰陽道による正月の儀式は陰陽頭が行ったが、正月四日五日には「千秋万歳の儀」があり、これを民間の芸能者である「声聞師」が行った[12]。当時の京都の「声聞師」は、

に集団的に居住していた[12]。なかでも桜町の「声聞師」集団を「大黒党」、その長を「大黒」と呼び、上記の「千秋万歳」のほか、小正月旧暦1月15日)の「左義長」(三毬打)、重陽旧暦9月9日)の「菊の着綿」、といった諸儀式を行った[12]グレゴリオ暦1570年2月8日にあたる元亀元年正月四日には、正親町天皇(第106代天皇)が、「声聞師」の行った「千秋万歳」と「大黒舞」を観覧した記録が残っている[13]。この時代、地方で起きた「一向一揆」の扇動者側に立ったため、織田信長豊臣秀吉らによって処刑されていった「声聞師」たちもいる、と渡辺昭五は指摘している[6]

江戸時代にはいると、賤民化し、非人、猿飼、願人坊主(願人)等とほぼ一体化した[3]

「声聞師」が行った儀式・芸能のなかで現代も残るものは、能楽のほかにも、左義長がある[14]。全国各地でさまざまな呼称で、小正月に行われている火祭りである[14]

儀式・芸能の一覧

「声聞師」の行う儀式・芸能の一覧である。

脚注

  1. 声聞師世界大百科事典 第2版コトバンク、2012年8月20日閲覧。
  2. 声聞師百科事典マイペディア、コトバンク、2012年8月20日閲覧。
  3. 唱門師デジタル大辞泉、コトバンク、2012年8月20日閲覧。
  4. 世界大百科事典 第2版『門付』 - コトバンク、2012年8月20日閲覧。
  5. 池上、p.134.
  6. 渡邊昭五著『中近世放浪芸の系譜』花部英雄岩田書院、2012年8月21日閲覧。
  7. 脇田、p.68, p.161-162.
  8. 世界大百科事典 第2版『近江猿楽』 - コトバンク、2012年8月21日閲覧。
  9. 脇田、p.184-185.
  10. 加納、p.123.
  11. 脇田、p.186-187.
  12. 奥野、p.60-61.
  13. 奥野、p.191-192.
  14. 世界大百科事典 第2版『左義長』 - コトバンク、2012年8月21日閲覧。

参考文献

  • 『歴史上より見たる差別撤廃問題』、喜田貞吉中央社会事業協会、1924年
  • 『日本盲人史』、中山太郎、昭和書房、1934年
  • 『女性芸能の源流 - 傀儡子・曲舞・白拍子』、脇田晴子角川選書角川書店、2001年11月 ISBN 404703326X
  • 『戦国時代の宮廷生活』、奥野高広、続群書類従完成会、2004年2月 ISBN 4797107413
  • 『散所・声聞師・舞々の研究』、世界人権問題研究センター思文閣出版、2004年12月 ISBN 4784212191
  • 『美と礼節の絆 日本における交際文化の政治的起源』、池上英子NTT出版、2005年7月9日 ISBN 4757141165
  • 『中近世放浪芸の系譜』、渡辺昭五岩田書院、2007年6月 ISBN 4872941616
  • 『日本操り人形史- 形態変遷・操法技術史』、加納克己八木書店、2007年12月 ISBN 4840696489

関連項目

外部リンク

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