勝手神社

勝手神社(かつてじんじゃ)とは奈良県吉野郡吉野町にある神社。祭神は『和漢三才図会』に「勝手社 祭神一座 愛鬘命[1](うけりのみこと/うけのりのみこと)」とある。また、「受鬘命」とも表記される[2]。現在の主祭神は天忍穂耳命とされている。大山祇命久久能智命木花佐久夜比咩命苔虫命葉野比咩命が配祀されている。

勝手神社
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
位置 北緯34度21分52.9秒
東経135度51分44.9秒
主祭神 天之忍穗耳命
社格 式内社(大)論社
村社
創建 不詳
例祭 10月第3日曜日

概要

吉野大峰山鎮守社である吉野八社明神の一でかつては「勝手明神」と呼ばれた。吉野川水源に当たる青根ヶ峰は古くから水神として崇敬を受け、山頂付近に金峯神社(奥千本)・山腹に吉野水分神社(上千本)・山麓に勝手神社(中千本)が建てられた[3]。勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や戦の神としても信仰された。神仏習合時代には勝手大明神の本地毘沙門天と言われ、さらなる武門の尊崇を受けることとなった。また、吉野山の入り口に位置することから山口神社ともいわれた[4]

創建年代は不詳だが、「日雄寺継統記」では孝安天皇6年(紀元前386年)とする。大海人皇子が社殿で琴を奏でたところ、天女が舞い降り5度袖を振りつつ舞ったと伝えられ、背後の山は「袖振山」と称する。また、この故事が宮中の「五節舞」の起源という[5]

境内には源義経の妻女、静御前が追っ手に捕らわれた際、舞を見せたと伝わる舞塚が残る。 流造檜皮葺、桁行八間・梁間二間の本殿は県の有形文化財であったが、2001年に不審火で焼失したため、ご神体は向かいの吉水神社に遷座しており、本殿再建のための寄付金が募られている。

蔵王権現、子守明神との関係

吉野曼荼羅に描かれる勝手明神(左)と子守明神(右)

蔵王権現金峯山寺)、子守権現(吉野水分神社)、勝手権現(勝手神社)は三所権現として伯耆三仏寺に勧請され、蔵王権現は奥院(投入堂)、子守権現は地蔵堂、勝手権現は文殊堂に祀られた[6]。勝手明神は単体でも諸国の神社に勧請され、全国28社の勝手神社の総本社となっている[5]

吉野水分神社祭神の子守明神とは夫婦神であるとされる。勝手明神が男神、子守明神が女神である。室町後期成立の能「嵐山」では、吉野から移植された嵐山の桜の花守(はなもり)である老夫婦は実は勝手、子守両神の化身であり、蔵王権現、勝手明神、子守明神は三身一体であることを宣する筋立てが語られる[7]

脚注

  1. 倭漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻. [55]”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2018年10月27日閲覧。
  2. 神社紹介 > 滋賀県の神社”. 滋賀県神社庁. 2018年10月27日閲覧。
  3. 『民衆救済と仏教の歴史〈中〉』 中屋 宗寿・著 郁朋社 2012年
  4. 『奈良 大人の街歩き』 成美堂出版 2010年
  5. 勝手神社再建ご協賛 趣意書”. 吉水神社公式ホームページ. 2013年4月10日閲覧。
  6. 「世界遺産暫定一覧表記載資産候補に係る提案書」資産に含まれる文化財(5-1)整理表”. 鳥取県公式サイト (2007年12月26日). 2013年4月15日閲覧。
  7. 嵐山”. 銕仙会 能楽事典. 2013年4月9日閲覧。

外部リンク

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