伊江島補助飛行場

伊江島補助飛行場いえじまほじょひこうじょう Ie Jima Auxiliary Airfield)は、沖縄県国頭郡伊江村にあるアメリカ海兵隊飛行場演習場。旧日本陸軍の伊江島飛行場に由来する。

伊江島補助飛行場
伊江島補助飛行場滑走路
IATA: ? - ICAO: ?
概要
国・地域 日本
所在地 沖縄県国頭郡伊江村
運営者 アメリカ海兵隊
座標 北緯26度43分23.2秒 東経127度46分40.7秒
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伊江島北西部の約8.02km2を占める。平行して伊江島空港がある。滑走路をはじめヘリパッドハリアーパッドを擁し、村面積のおよそ35.3%の区域面積を占有している。しかし区域内の一部の道路の通行は米軍の活動を妨げないことを条件に認められているほか、同区域内に300戸近くの住宅が存在し、実際に生活を営んでいるという状況下にある。

基地概要

主な数値は内閣府沖縄総合事務局、及び沖縄県基地対策課ウェブサイトによる。

伊江島補助飛行場 (Ie Jima Auxiliary Airfield) FAC6005

  • 所在: 伊江村
  • 面積: 801.5ha
    • 国有地145.3ha
    • 県有地6.4ha
    • 市町村有地36.8ha
    • 民有地613.0ha
    • 面積のおよそ4分の1が市有地である。
  • 空域: 1,025.89k㎡
  • 水域: 26.90k㎡
  • 地主数:1231人
  • 年間賃借料:13億7500万円
  • 管理部隊名:海兵隊キャンプ・バトラー基地司令部
  • 使用部隊名:海兵隊、陸軍(特殊部隊)、空軍、海軍
  • 使用主目的:補助飛行場、訓練場
伊江島空港付近の空中写真。真ん中の滑走路が伊江島補助飛行場。右側の滑走路は伊江島空港。左側の滑走路はアメリカ軍施設である。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成1977年撮影の5枚を合成作成。

使用部隊と任務

常駐機は無く全て飛来機である。

  • 陸軍、空軍、海軍、海兵隊
模擬空対地射爆撃訓練、パラシュート降下訓練、重量物投下訓練、空挺空輪訓練、防空訓練、垂直離着陸訓練。

この他、第7艦隊及び在沖海兵隊を主力部隊とした「バリアント・アッシャー」と命名された上陸演習においてはキャンプ・ハンセンなどと連動して上陸演習、空挺訓練が実施されてきた。

また、本島周辺において年1回、4週間程度の日程で定期総合演習「ビーチ・クレスト」が実施されている。本訓練の際には伊江島上空にて空中戦闘訓練が実施され、地上では航空機を無線誘導する近接支援訓練が実施される。

歴史

帝国陸軍伊江島飛行場

  • 1943年(昭和18年)伊江島の土地を飛行場建設用地として強制接収、春から陸軍航空本部による飛行場の建設に着工[1]国場組が請け負う[2]
  • 1944年(昭和19年)2月 航空要塞化の補強工事
  • 1945年(昭和20年)3月10日:第32軍 (沖縄守備軍) の要請に応じ、大本営が伊江島飛行場の破壊命令を通知。13日から自壊開始。
  • 1945年(昭和20年)4月16日:連合国軍(アメリカ軍)上陸、その日のうちに飛行場は占領される。一週間の伊江島の戦いで伊江島守備隊はほぼ全滅。住民の半数が命を落とす。アメリカ軍はわずか2日で飛行場を復旧させ、アメリカ軍基地とした。

アメリカ軍伊江島補助飛行場(占領下)

  • 1945年(昭和20年)8月18日:日本政府の緑十字飛行木更津マニラとの間で開始。
  • 1947年(昭和22年)3月11日:一部が解放される。久志村と慶良間島の難民収容所から住民が帰還し居住開始。
  • 1953年(昭和28年)3月11日:アメリカ軍が真謝、西崎両区の土地を射爆撃場建設のため農地の接収通告をし、4戸が立ち退き。
  • 1954年(昭和29年)6月:アメリカ軍による射爆撃場建設工事着手。
  • 1954年(昭和29年)8月:射爆訓練場の拡張のための地上標的を設置するため、更に農地の明け渡しを通告。真謝区78戸、西崎区74戸の計152戸が対象。住民の陳情、反対闘争により15戸に縮小。
  • 1955年(昭和30年)3月:工兵部隊が工事着手。
  • 1955年(昭和30年):キジャカ部落に通信施設を建設するため農家を接収。
  • 1960年(昭和35年):キジャカ部落に通信施設を建設するため農家を接収。1955年と合わせ30戸が立ち退き。
  • 1965年(昭和40年)4月15日:一部が返還される(約1.5ha)
  • 1967年(昭和42年)5月:住民により「伊江島土地を守る会」が結成される。
  • 1970年(昭和45年)6月30日:一部が返還される(約0.5ha)。住民側は反発を強め団結道場を建設。

1955年3月、アメリカ軍による強制接収の経緯があり[3][4][5]、那覇防衛施設局も『調和 基地と住民』にてそれを認めている。そのため、1990年代に入っても契約拒否地主を数多く生み出すこととなった。アメリカ軍は島の面積のおよそ3分の1、35.3%の区域面積を占有した状態にあるが、一方で、1996年の跡地利用構想の策定範囲は訓練場として使用されている327haにとどまり、その他の敷地の大半は黙認耕作に使用されている。この土地利用の扱いについても課題があることを内閣府沖縄総合事務局などが指摘している。

アメリカ軍伊江島補助飛行場(沖縄県)

  • 1972年(昭和47年)5月15日:沖縄一帯のアメリカからの占領復帰に伴い、日米地位協定の下で日本国より施設・区域が提供される形になる。
  • 1972年(昭和47年)12月7日:降下訓練をしていたグリーンベレー隊員1人が、誤って飛行場の東3kmにある伊江西小学校の屋根へパラシュートで降下[6]
  • 1973年(昭和48年)9月28日:演習場内の地元の採草・放牧地にアメリカ軍が枯れ葉剤を散布し、約2,000㎡の牧草を枯らした。
  • 1976年(昭和51年)7月8日:第16回日米安全保障協議委員会にて、移設条件付全部返還が合意される。
  • 1977年(昭和52年)3月31日:0.6haが返還される。
  • 1982年(昭和57年)5月15日:公用地暫定使用法の期間満了に伴い、未契約地4.4haが返還される。
  • 1985年(昭和60年)4月1日:訓練区域の一部(第2区域)が返還される。
  • 1987年(昭和62年)5月14日:約0.2haが返還される。
  • 1989年(平成元年)10月:ホーカーシドレーハリアー用パッド完成。
  • 1992年(平成4年)9月30日:信号弾により施設内黙認耕作地で火災発生、1,428 ㎡を焼失。
  • 1996年(平成8年)12月2日SACOにより読谷補助飛行場で行われていたパラシュート降下訓練の伊江島への移転合意。「伊江島訓練場跡地利用計画基本構想」の策定に着手。
  • 1998年(平成10年)3月26日:通信施設として、建物100平方メートルを追加提供する。
  • 2003年(平成15年)8月26日:工場等として、建物800平方メートルと工作物(門等)を追加提供する。
  • 2004年(平成16年)11月4日:門等を追加提供する。
  • 2016年8月22日、強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯 (LHDデッキ) の改修工事開始。面積が53890㎡から107140㎡へと2倍に拡大され、海兵隊F35戦闘機やCV22オスプレイも収容できる駐機場[7] も整備される。伊江村は、負担増加につながること、また工事に関する米訓による詳細な説明がないことから工事中止を要請していた[8]。2018年11月にほぼ完成したとみられる[9]。12月4日には最初のF35が伊江島に飛来、同年、米海軍佐世保基地に配備された強襲揚陸艦ワスプ艦載機とみられる[10]
  • 2018年、伊江島中学校が授業に米軍を活用する取り組みを始めた[11]。在日米海兵隊の公式SNSによると赤嶺美奈子教頭が隊員に声をかけてはじめたという[12][13]。2018年6月15日の閣議決定で、安倍政権が「沖縄振興策の方向性」として、「米国の協力を得た英語教育の充実」を盛り込んだ事[14] を受けてと思われるが、毎週の英語以外の教科にも米軍兵士が授業や給食などを中学生と共におこなっており、軍と公教育の一体化が問われている[15][16]

地理

  • 沖縄島北部の本部半島から北西約9kmの位置にあり、施設の北西部にハリアーパッド、西側に射爆撃場、中央には飛行場がある。島の中央付近には標高172mの城山(通称:伊江島タッチュー)があり、島が一望できる。島の北東部にはテッポウユリを植栽したリリーフィールド公園がある。

周辺対策

本飛行場に関係する周辺対策事業は他の自衛隊・在日米軍施設同様「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」を根拠法とし(以下本節で同法と呼ぶ)、下記が実施されてきた[17]

伊江島で実施されている周辺対策事業は下記のように区分される。

  • 障害防止工事の助成
  • 民生安定施設の助成
  • 調整交付金の交付

障害防止工事

障害防止対策事業(同法3条に基づく)の内一般障害防止については、水問題への対処が挙げられる。基地建設が実施される以前、伊江島には40余の溜池が存在し、島民の水確保の手段となっていた。しかし、本飛行場の拡張などに伴い溜池は多くが埋め立てられ、更に土地の締め固めが実施されたことで雨水が地下に浸透しなくなった。上水道は本島から送水することで対処したものの、旱魃時には農業用水が不足する問題が発生した。この対策として、道路側溝を流れる雨水を溜池に導き、溜池自体も新設が行われ、1994年6月時点で35箇所、40万1000トンの貯水力に拡張された。1973年度から1995年度まで実施した助成額の総計は約30億円となっている。

騒音防止工事

学校等の公共施設の騒音防止対策事業としては、航空機騒音の防止・軽減対策として1974年度から実施され、小学校2校、中学校1校、保育所1箇所に防音工事を実施した。これらの防音工事に伴って整備した空調設備の維持にも補助金を交付している。これらの総計は1995年頃までに約11億円となっている。

民生安定施設の助成

民生安定施設の助成は同法8条に基づく。一般助成事業として、児童公園、近隣公園、地区公園、体育館、水道、無線放送施設、農業用施設(野菜類の出荷施設)、漁業用施設(漁港)等について、1975年度より助成を開始し、1995年度時点で総計は約27億円となっている。

防音助成については学習等供用施設4施設、庁舎等については1975年度から1995年度までの累計で約2億円の補助が実施されている。

特定防衛施設周辺整備調整交付金

更に、同法9条に基づき、特定防衛施設周辺整備調整交付金を伊江村に対して交付している。用途としては道路、医療保健センター、聖苑(火葬場斎場)、一般廃棄物最終処分場、学校及び公共施設などの整備に充当されている。総計額は1975年度から1995年度までで約36億円となっている。

その他

日米地位協定第2条第4項(a)に基づき、補助飛行場内で農業用灌漑施設、水道事業貯水施設など、10件、約6haの一時使用を許可している(黙認耕作とは別)。

また、離着陸時の騒音緩和のため1982年度より補助飛行場内でモクマオウ等の植栽を実施し1995年時点では9ha余りの面積となっている。

脚注

  1. 沖縄県 旧軍飛行場用地問題の歴史的な背景とその後の経過
  2. 富村順一は自伝に、「現在の沖縄代表、国会議員の国場幸昌の兄幸太郎が組長でした。さて、国場組が日本軍と一体となり、我々沖縄人労働者や朝鮮人軍属を牛や馬と同様にあつかい、部隊長達にいい顔をして居りました」と記している。富村順一『わんがうまりあ沖縄』柘植書房、1972年。p. 117
  3. Beggars' Belief: The Farmers' Resistance Movement on Iejima Island, Okinawa—— | The Asia-Pacific Journal: Japan Focus”. apjjf.org. 2020年9月10日閲覧。
  4. I Lost My Only Son in the War: Prelude to the Okinawan Anti-Base Movement—— | The Asia-Pacific Journal: Japan Focus”. apjjf.org. 2020年9月10日閲覧。
  5. Mitchell, Jon (2011年5月22日). Iejima: an island of resistance (英語). The Japan Times. 2020年9月10日閲覧。
  6. 「給食準備室に米兵降る?」『朝日新聞』昭和47年(1972年)12月9日朝刊、13版、3面
  7. 米軍の着陸帯「LHDデッキ」完成迫る 沖縄・伊江島 | 沖縄タイムス+プラス ニュース (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月21日閲覧。
  8. 伊江島補助飛行場「LHDデッキ」、改修きょう着工 | 沖縄タイムス+プラス ニュース (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月21日閲覧。
  9. 報道制作局, 琉球朝日放送. 米軍伊江島LHDデッキがほぼ完成 (日本語). QAB NEWS Headline. 2020年3月21日閲覧。
  10. INC, SANKEI DIGITAL. 伊江島にF35B初飛来 米軍、飛行場の改修完了 (日本語). 産経フォト. 2020年3月21日閲覧。
  11. 在日米海兵隊 (日本語). www.facebook.com. 2020年3月22日閲覧。
  12. 在日米海兵隊 (日本語). www.facebook.com. 2020年3月21日閲覧。
  13. 「英語教育に米軍活用」 自民、人材育成で提言 基地固定化と反発も | 沖縄タイムス+プラス ニュース (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月22日閲覧。
  14. 沖縄の目指す姿 (日本語). 首相官邸ホームページ. 2020年3月22日閲覧。
  15. “海兵隊員が伊江中学校で英語の授業をサポート” (英語). 在日米海兵隊. https://www.japan.marines.mil/News/Article/1967339/ 2020年3月22日閲覧。
  16. 「生きた英語を」「政治利用される」 米兵が中学校で英語授業 村内から賛否の声 | 沖縄タイムス+プラス プレミアム (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月22日閲覧。
  17. 周辺対策の主な出典は
    那覇防衛施設局「伊江島補助飛行場 -その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』63号 1997年3月15日

関連項目

外部リンク

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