ホラント

オランダの政治・経済・文化の中心地域であり[1]アムステルダムロッテルダムハーグなどの主要都市が位置する。

  ホラント(北ホラント州南ホラント州
ホラントの紋章。ホラント伯領時代から1840年まで使用。

ホラント (Holland) は、オランダ西部の地域である。

行政上は、北ホラント州南ホラント州に分かれる。

地名

オランダ語Holtland(森の地)[2][3]、あるいは間違ってHolland窪地[3]に由来する。

ネーデルラント(オランダ)の中枢であることから、いくつかの言語ではオランダの別名となった。日本語の「オランダ」もその1つで、直接にはポルトガル語Holanda に由来し、これはポルトガル語ではオランダの通称である。

歴史

この地域はかつてはフリースラントの一部だったが、10世紀ごろ、神聖ローマ帝国によりフリースラントから分離され、ホラント伯領 (Graafschap Holland) となった。記録に残る最初のホラント伯は、ティルク1世(在位 916年–939年)である。

1299年、ホラント伯家は断絶し、エノー伯がホラント伯を兼ねた。

1432年ブルゴーニュ領ネーデルラントの一部となった。

1482年ネーデルラント全域(現ベルギー、現ルクセンブルクを含む)が、オーストリアハプスブルク家領となった。ホラント伯領は、ネーデルラント17州の1州となり、これ以後はホラント州と訳すこともある(原語は同じ)。

1581年、北ネーデルラントのホラントなど7州(ほぼ現オランダ)が、ネーデルラント連邦共和国として独立した。

1795年フランス革命戦争によりネーデルラント連邦共和国は崩壊し、バタヴィア共和国が建国された。7州 (graafschap) は解体され、自治権を制限された8県 (departement) に再編された。ホラントは複数県に分割され、およそ、北ホラント(現北ホラント州)はアムステル県 (Departement van de Amstel) とテセル県 (Departement van Texel)、南ホラント(現南ホラント州)はデルフ県 (Departement van de Delf) とスヘルデ・エン・マース県 (Departement van de Schelde en Maas) の一部になった。

1802年、県が再編され、ホラント全体がホラント県 (Departement Holland) になった。

1806年ナポレオンの弟ルイを王とするホラント王国が成立した。版図は(北)ネーデルラントだが、国名はホラントから採られている。

1807年、県がさらに再編され、およそ、北ホラントはアムステラント県 (Departement Amstelland)、南ホラントはマースラント県 (Departement Maasland) になった。

1810年、ホラント王国はフランス帝国に併合された。およそ、北ホラントはゾイデルゼー県 (Zuiderzee)、南ホラントはマース県 (Monden van de Maas) になった。

1815年、フランス帝国の崩壊により、ネーデルラント連合王国が独立回復した。ホラント全域が、 (provincie) の1つのホラント州 (Holland) となった。ただし、州 (provincie) は、かつての州 (graafschap) のような、連邦国家の構成国としての自治権はない。

1840年、ホラント州は、北ホラント州南ホラント州に分割された。

出典

  1. コンサイス外国地名辞典』第3版「ホラント Holland」1998 三省堂
  2. リーダーズ英和辞典』「Holland」1984 研究社
  3. 本保正紀『外国地名由来辞典』「オランダ」1995 能登印刷出版部
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