ハレ (ザーレ)

ハレ (ザーレ)Halle (Saale)[2], 1995年まで:Halle/Saale)は、ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州の都市である。かつてはプロイセン王国戦後東ドイツに属した。人口は約24万人である。都市名はハレ・アン・デア・ザーレ(Halle an der Saale)とも表記される。

紋章 地図
基本情報
連邦州:ザクセン=アンハルト州
郡:郡独立市
緯度経度:北緯 51度28分
東経 11度58分
標高:海抜 87 m
面積:135.02 km²
人口:

238,762人(2019年12月31日現在) [1]

人口密度:1,768 人/km²
郵便番号:06108-06132 (旧: 40xx)
市外局番:0345
ナンバープレート:HAL
UN/LOコード:DE HAL
自治体コード:15 0 02 000
市の構成:5 市区、35 小市区
市庁舎の住所:Marktplatz 1
06108 Halle (Saale)
ウェブサイト:www.halle.de
E-Mail:presseamt@halle.de
広報誌:Amtsblatt der Stadt Halle (Saale)
行政
上級市長:ベルント・ヴィーガント
(Bernd Wiegand, 無所属)
歌劇場
給水塔

地勢

ザーレ川沿いに位置する。古くから製塩によって栄えてきた。近隣の都市としては、約35km南東にライプツィヒ、約75km北にマクデブルクが位置する。

歴史

「ハレ」という語はケルト語で「塩」の意味とされるが[3][4][5]、古いドイツ語で「製塩所」を意味するという説も行われている[6][7]

ハレは濃い塩水を出す塩水泉があり、近辺にはヨーロッパでもっとも古い青銅器時代の製塩所跡がある。北ドイツは一般に塩に乏しいが、ハレは例外的だった[8]

中世においては、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄した。1478年にマクデブルク大司教領となり[9]、1503年以降、大司教座がハレに置かれた[10]三十年戦争中、1635年のプラハ条約によってザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の子のアウグストがマクデブルク大司教領を支配するが、1680年にアウグストが没すると、ヴェストファーレン条約での取り決めに従って世俗化されてブランデンブルク=プロイセン領マクデブルク公国となった[11]

ブランデンブルク家は製塩法の効率化を促進した。19世紀なかばまで、ハレはドイツで唯一製塩に石炭を使っていた[12]

ナポレオン戦争では第四次対仏大同盟時のハレの戦い(1806年)によってフランスに占領された[13]。1815年にプロイセン領ザクセン州の一部になった[14]

1920年独立社会民主党はこの地で開催された党大会でコミンテルンへの加盟を決定した。この方針に従うものがドイツ共産党へ合流したことで、同党の勢力が増すことになった。第二次世界大戦では、奇跡的に空襲をあまり受けず、沢山の歴史的建造物が無傷で残っている。戦後間もなくはアメリカ軍の占領下にあったが、すぐにソ連へ引き渡されることとなる(ソ連占領地域)。東ドイツ時代はハレ県の県庁所在地であった。

文化

18世紀にロンドンで活躍した作曲家、ヘンデルの出生地で、ヘンデル音楽祭が開催される。

プロイセン時代から大学都市として有名であり(マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)、古典文献学および聖書解釈学の成立に大きく寄与した。クリスティアン・ヴォルフが哲学を講じた場所でもある。

交通

ライプツィヒマクデブルクからは40分程で結ばれている。市内には路面電車が張り巡らされ、マルクト広場から市内各地は最大でも20分ほどである。

姉妹都市

脚注

参考文献

  • R. P. マルソーフ『塩の世界史』市場泰男訳、平凡社、1989年。ISBN 4-582-40803-6。

関連項目

外部リンク


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