ジェームズ5世 (スコットランド王)

生涯

父ジェームズ4世のフロドゥンの戦いでの死により、生後1年5ヶ月でスターリング城にて即位した[1]。幼年期には母、次いでジェームズ2世の孫(ジェームズ5世の従叔父)にあたり王位継承権第2位のオールバニ公ジョン・ステュアートが摂政を務めた[2]1525年に義理の父親(母マーガレットの2度目の夫)アンガス伯アーチボルド・ダグラスが後見人となったが、実際にはジェームズ5世は軟禁状態に置かれた[3]。1528年にこれを逃れ、親政を開始した[4]

ジェームズ5世はフランスとの古い同盟を更新し、1537年1月1日にフランス国王フランソワ1世の王女マデリン(マドレーヌ)とパリノートルダム寺院にて結婚する。しかしマデリンは、結婚後数ヶ月後にホリールード宮殿で結核で病没した[5]

1538年6月、フランスの大貴族である初代ギーズ公クロードの長女メアリー(マリー)とセント・アンドルーズで結婚する。2人の間には長男ジェームズ、次男アーサーが生まれるが、2人とも1歳を待たずして1541年4月に夭折した[6]

1541年にイングランド出身の母が死去すると、もはや和平を保つべき理由も薄れ、ついにイングランドの戦争が勃発した。ローマ・カトリック教会から離脱したヘンリー8世は甥のジェームズ5世にもカトリックからの離脱を強要したが、ジェームズ5世は教会の改革をひどく嫌った。1542年11月、国境近くのソルウェイ湿原の戦いで敗北し[7]フォークランド宮殿へ帰ったジェームズ5世はそのまま熱病に倒れた[8]12月8日、王妃メアリーが女子(女王メアリー1世として王位を継承)を出産した知らせを聞くが、回復することなく6日後の14日に死去した[9]

子女

メアリ・オブ・ギーズとの間に2男1女が生まれた。

  • ジェームズ(1540年5月22日 - 1541年4月)
  • アーサー(ロバート)(1541年4月) - 生まれて8日後に死去
  • メアリー(1542年 - 1587年) - スコットランド女王

さらに身分が低いマーガレット・アースキンとの間に1男が生まれた。

脚注

  1. 森、p. 244
  2. 森、p. 245
  3. 森、p. 249
  4. 森、p. 251
  5. 森、p. 256
  6. 森、p. 257
  7. トランター、p. 211
  8. 森、p. 258
  9. 森、p. 259

参考文献

  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
  • ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年
  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
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