サッカーウルグアイ代表

サッカーウルグアイ代表西: Selección nacional de fútbol de Uruguay)は、ウルグアイサッカー協会(AUF)により構成されるウルグアイサッカーのナショナルチーム。愛称はそのユニフォームカラーから「セレステ」など。ホームスタジアムは首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオ

サッカーウルグアイ代表
国または地域 ウルグアイ
協会 ウルグアイサッカー協会
FIFAコード URU
愛称 La Celeste(空色)
Los Orientales(東岸の人)
Los Charrúas(先住民チャルーア族に由来する、頑強で不屈な魂)
監督 オスカル・タバレス
最多出場選手 ディエゴ・ゴディン(131試合)
最多得点選手 ルイス・スアレス(57得点)
初の国際試合 1901年5月16日アルゼンチン
2-3
最大差勝利試合 1927年11月6日ボリビア
9-0
最大差敗戦試合 1902年7月20日アルゼンチン
0-6
FIFAワールドカップ
出場回数 12回(初出場は1930
最高成績 優勝(1930, 1950
コパ・アメリカ
出場回数 39回
最高成績 優勝15回(1916, 1917, 1920, 1923, 1924, 1926, 1935, 1942, 1956, 1959, 1967, 1983, 1987, 1995, 2011)
ウルグアイ代表
2017年11月14日、親善試合オーストリア

概要

第1回FIFAワールドカップ大会で優勝したウルグアイ代表

20世紀前半において世界屈指の強豪国として君臨し、1924年1928年オリンピックで連覇。ワールドカップでは1930年に憲法発布100周年を記念し開催された地元での第1回大会1950年ブラジル大会で優勝。コパ・アメリカではブラジルや、アルゼンチンを抑えて最多となる15回の優勝を誇る。

1970年代以降はワールドカップでは度々南米予選で敗退するようになり、国際タイトルからも1995年コパ・アメリカを最後に遠ざかるなど、長きに渡り低迷していた。一方で、選手個人では欧州トップリーグで活躍する選手を多く輩出していたため「古豪」と紹介されることが多かった。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会でも、予選では大陸間プレーオフで出場権を手にするなど苦戦したが本大会ではディエゴ・フォルランルイス・アルベルト・スアレスらの活躍もあり、下馬評を覆して40年ぶりのベスト4入りを果たす。フォルランはウルグアイ代表初の大会得点王とMVPに輝いた。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。

2011年の南米ユース選手権(U-20の大会)では準優勝し、2011 FIFA U-20ワールドカップへの出場権を得ると同時に、1928年に優勝した以来84年ぶり(18大会ぶり)にオリンピック本大会へ出場[1]2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技も参照)。さらに同年のコパ・アメリカ2011ではグループリーグを2位通過すると、準々決勝でアルゼンチンを下し、決勝でもパラグアイに3-0で勝利。6大会ぶり15度目の優勝を果たし、強豪国としての地位を取り戻しつつある[2][3][4]

2014年のワールドカップブラジル大会では前回同様予選では苦戦し、2002年の日韓大会から4大会連続で大陸間プレーオフに回るも[5]ヨルダンを下して本大会出場権を獲得。GLではイタリアイングランドといった強豪国を下しグループ2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でコロンビアに敗れた。

2018年のワールドカップロシア大会では、南米予選第17節の時点で2位(最低5位で大陸間プレーオフ確定)につけていたがチリ(第17節終了時点で3位)、コロンビア(第17節終了時点で4位)、ペルー(第17節終了時点で5位)、アルゼンチン(第17節終了時点で6位)、パラグアイ(第17節終了時点で7位)と本大会出場を争う混戦となっていた。最終節でボリビアを逆転で下して予選2位をキープし、本大会出場を果たした[6]。本大会では開催国ロシアのほか、サウジアラビアエジプトと同じグループAに入り、3勝0敗で首位通過及び唯一無失点のまま決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルエディンソン・カバーニの2ゴールで2-1で勝利したものの、そのカバーニはポルトガル戦途中で左足ふくらはぎを負傷し退場、準々決勝ではそのカバーニを怪我で欠いたこともあり、フランスに0-2で敗れ、2010年大会以来となる準決勝進出を逃した。

ユニフォーム

ホーム用ユニフォームには突き抜けるような空色が伝統的に使用されており、これが代表の愛称「セレステ」(スペイン語で空色の意)の由来となっている[7]。アウェイ用のメインカラーは主に白であるが、赤・もしくはオレンジをメインカラーとして使用されることもある。

ロゴ上には4つの星が付けられているが、これは2度のワールドカップ制覇とW杯開催前の2度のオリンピック制覇を合わせて記している。

成績

FIFAワールドカップ

開催国 / 年 成績
1930優勝4400153 +12
1934不参加
1938
1950優勝4310155 +10
19544位5302169 +7
1958予選敗退
1962グループリーグ敗退310246 -2
1966ベスト8412125 -3
19704位621345 -1
1974グループリーグ敗退301216 -5
1978予選敗退
1982
1986ベスト16402228 -6
1990411225 -3
1994予選敗退
1998
2002グループリーグ敗退302145 -1
2006予選敗退
20104位7322118 +3
2014ベスト16420246 -2
2018ベスト8540173 +4
合計 出場13回/優勝2回562412208774 +13

FIFAコンフェデレーションズカップ

(出場した大会のみ表記)

コパ・アメリカ

サッカー南米選手権(現コパ・アメリカ)
開催国 / 年 成績
1916優勝321061
1917330090
1919準優勝321074
1920優勝321092
19213位310234
1922421131
1923優勝330061
1924321081
1925不参加
1926優勝4400172
1927準優勝3300154
19293位310246
1935優勝330061
19373位52031114
19392位4301135
19414301101
1942優勝6600212
19454位6303146
19465203119
19473位7502218
19496位72141420
19533位6312156
19554位52121212
1956優勝541093
19573位64021512
19595位62041514
1959優勝4310131
1963不参加
1967優勝5410132
合計出場27回/優勝11回119761132300142 +158
コパ・アメリカ
開催国 / 年 成績
19754位210113
19796位412155
1983優勝8521126
1987220020
19892位7403113
19915位413043
19936位412155
1995優勝6420114
19978位310222
19992位612349
20014位622277
20043位63211210
20074位622289
2011優勝633093
20157位411243
201611位310244
20196位422072
Total出場17回/優勝4回8135252110878 +30

オリンピック

FIFA U-20ワールドカップ

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
19774位531165
19793位6411103
1981ベスト8430162
1983421175
1985予選敗退
1987
1989
1991グループリーグ敗退301207
1993ベスト8421165
1995予選敗退
1997準優勝7421146
19994位722378
2001予選敗退
2003
2005
2007ベスト16411246
2009421175
2011グループリーグ敗退302112
2013準優勝7421103
2015ベスト16412133
20174位734073
合計14/21693121178863

パンアメリカン競技大会

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
1951不参加
1955
1959
19634位410346
1967不参加
1971
1975グループリーグ敗退201112
1979不参加
1983優勝440051
1987不参加
1991
1995
1999グループリーグ敗退401329
2003不参加
2007
20113位521268
2015優勝540182
合計6/1724113102628

歴代監督

選手

現在の選出メンバー

(2019年11月参考)

No. Pos. 選手名 生年月日(年齢) 出場数 ゴール 在籍クラブ
1 GK フェルナンド・ムスレラ (1986-06-16) 1986年6月16日(34歳) 116 0 ガラタサライ
12 GK マルティン・シルバ (1983-03-25) 1983年3月25日(37歳) 11 0 リベルタ
23 GK マルティン・カンパーニャ (1989-05-29) 1989年5月29日(31歳) 5 0 CAインデペンディエンテ
3 DF ディエゴ・ゴディン (1986-02-16) 1986年2月16日(35歳) 135 8 インテル (主将)
22 DF マルティン・カセレス (1987-04-07) 1987年4月7日(33歳) 98 4 フィオレンティーナ
2 DF ホセ・ヒメネス (1995-01-20) 1995年1月20日(26歳) 58 8 アトレティコ・マドリード
18 DF セバスティアン・コアテス (1990-10-07) 1990年10月7日(30歳) 39 1 スポルティングCP
17 DF ディエゴ・ラクサール (1993-02-07) 1993年2月7日(28歳) 24 0 ACミラン
DF ガストン・シルバ (1994-03-05) 1994年3月5日(27歳) 19 0 CAインデペンディエンテ
DF マティアス・ビーニャ (1997-11-09) 1997年11月9日(23歳) 6 0 パルメイラス
DF ロナルド・アラウホ (1999-03-07) 1999年3月7日(21歳) 0 0 バルセロナB
DF ダミアン・スアレス (1988-04-27) 1988年4月27日(32歳) 0 0 ヘタフェ
15 MF マティアス・ベシーノ (1991-08-24) 1991年8月24日(29歳) 41 3 インテル
MF ナイタン・ナンデス (1995-12-28) 1995年12月28日(25歳) 31 0 カリアリ
6 MF ロドリゴ・ベンタンクール (1997-06-25) 1997年6月25日(23歳) 29 0 ユベントス
10 MF ジョルジアン・デ・アラスカエタ (1994-06-01) 1994年6月1日(26歳) 25 3 フラメンゴ
15 MF フェデリコ・バルベルデ (1998-07-22) 1998年7月22日(22歳) 20 2 レアル・マドリード
MF ガストン・ペレイロ (1995-06-11) 1995年6月11日(25歳) 10 4 カリアリ
MF ブリアン・ロサノ (1994-02-23) 1994年2月23日(27歳) 8 0 サントス・ラグナ
MF ブリアン・ロドリゲス (2000-05-20) 2000年5月20日(20歳) 6 3 ロサンゼルス
MF マウロ・アランバリ (1995-09-30) 1995年9月30日(25歳) 0 0 ヘタフェ
MF ディエゴ・ニコラス (1997-06-01) 1997年6月1日(23歳) 0 0 リーベル・プレート
21 FW エディンソン・カバーニ (1987-02-14) 1987年2月14日(34歳) 116 50 パリ・サンジェルマンFC
11 FW クリスティアン・ストゥアーニ (1986-10-12) 1986年10月12日(34歳) 50 8 ジローナ
FW ホナタン・ロドリゲス (1993-07-06) 1993年7月6日(27歳) 20 3 クルス・アスル
FW ダルウィン・ヌニェス (1999-06-24) 1999年6月24日(21歳) 1 1 アルメリア

主要大会のメンバー

主な歴代選手

個人記録

2018年7月8日現在
太字は現役代表選手
通算得点記録
名前得点数期間
1ルイス・スアレス582007-
2エディンソン・カバーニ482007-
3ディエゴ・フォルラン362002-2015
4エクトル・スカローネ311917-1930
5アンヘル・ロマーノ281911-1927
6オスカル・ミゲス271950-1958
7セバスティアン・アブレウ261996-2012
8ペドロ・ペトローネ241924-1930
9カルロス・アギレラ221982-1997
フェルナンド・モレナ1971-1983

脚注

  1. 1936年ベルリン大会および、1976年モントリオール大会においても南米予選を突破していたものの、出場を辞退した。RSSSFによる記録 ベルリン大会予選モントリオール大会予選
  2. 決勝へ向けひとつの形が完成したウルグアイ -スポーツナビ: 2011年7月21日
  3. 23年前の記憶を呼び覚ますファイナルの舞台 -スポーツナビ: 2011年7月26日
  4. ウルグアイ、南米を制した偉大なチームの可能性 -スポーツナビ: 2011年7月29日
  5. 2006年のワールドカップドイツ大会南米予選では5位に終わり、大陸間プレーオフでオーストラリアと対戦、お互いホームでの1-0勝利、2戦合計で1-1のため、PK戦での決着となったが2-4で敗れ本大会出場を逃した。
  6. アルゼンチンが逆転突破、ウルグアイらも本戦へ…チリは敗退/W杯南米予選サッカーキング 2017年10月11日
  7. <5分で分かるウルグアイ代表>前線は世界屈指の破壊力、充実のタレントで復権を果たした古豪 soccer king 2013年8月12日

関連項目

外部リンク

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