ゲーム機

ゲーム機(ゲームき)とは、コンシューマーゲーム機、テレビゲーム機、携帯型ゲーム機、アーケードゲーム機などといった、コンピュータゲームを動作させるためのハードウェア機器の総称[1][2][3]である。

概要

ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる。

ミニコン上で動作する『スペースウォー!

ゲーム機が誕生した1970年頃には、コンピューターと言えばメインフレームや、せいぜいミニコンであり、大企業や大学や、それらあるいは軍の研究所で使われる高価なシステムしかなかった。初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』が挙げられる[4]。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。

  1. 店頭に設置して有料で遊ぶ「アーケードゲーム
  2. 消費者が家庭で楽しむ「テレビゲーム
  3. パソコン上でアプリケーションの一種として動作する「パソコンゲーム
  4. 電卓の技術を応用して作られた「電子ゲーム

1972年、史上初のビデオゲーム機が登場するが商業的に成功せず、最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲーム『ポン』だった[5]。ビデオゲームは、それまでゲームセンターで人気を博していたピンボールを瞬く間に駆逐した。アーケードビデオゲームは次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなるにつれマイクロプロセッサーが採用されるようになっていった。1970年代中盤に登場した最初期のテレビゲーム機(第1世代)は、それらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものであった。当初のテレビゲーム機は、初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲーム、もしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)では、1つのハードでさまざまなゲームをプレイしたいというユーザーの欲求に応えるため、ハードにゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができるシステムが採用された。ソフトの供給メディアはカセットテープを採用したマシンもあったが、Atari 2600はカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムを採用し、それが標準となった。1979年には史上初のサードパーティーが誕生し、ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた[6]

1977年には、各社からパーソナルコンピュータ(8ビットパソコン)の販売が始まった。この頃すでにテレビゲームやアーケードゲームは存在しており、パソコンのユーザはこれらのアーケードゲームを無料で楽しむために、アーケードゲームを真似たパソコンゲームを競って自機上にプログラミングし、互いに交換しあった。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームロールプレイングゲームシミュレーションゲームといった、同時代のアーケードゲームやコンシューマーゲームとは異なる分野で発展を遂げていくことになる。

1970年代後半のマイクロプロセッサの、主にその速度はグラフィックを扱うには不足していたため(例えばNTSCのグラフィック表示にはドットクロック12〜15MHz程度が必要であり、当時のマイクロプロセッサでは力不足[注 1])、当時のゲーム機・パソコン・アーケードゲームのいずれも映像表示周辺は独自に作り込まれた設計となっており、それぞれの機種の個性となっていた。画像処理機能も含め、ゲーム向け機能の代表的なものはスプライト(オブジェクト)機能やスクロール機能などのハードウェア支援であろう。いずれも目的や想定するユーザー層などとコストの兼ね合いでこのあたりの機能と性能は決定されるため、目的のゲームに特化して設計されるアーケードゲーム機の回転機能などは花形であった。ゲーム機・パソコン・アーケードゲームが個々に独自のアーキテクチャを持つ傾向はその後も続いた。

1970年代後半には携帯型ゲーム機も人気となった。1979年には既にカートリッジ交換型携帯型ゲーム機が登場していたが、当時は技術的な制約から他の形態と比べて十分な製品を作れずにいた。かわりに主流となっていたものが電子ゲームと呼ばれるものであった。電子ゲームとは電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別系統に生まれたものである。表示装置としては特定の形状を表示する液晶発光ダイオードが使われた。汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本であった。

第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)では、エレクトロニクス技術の進歩によって、テレビゲーム機にも簡略化・低価格化を施されたスプライト機能とハードウエアスクロール機能が追加されていった。任天堂ファミリーコンピュータは、サードパーティーによるソフトウェアの製造をライセンス(ゲーム機メーカがサードパーティーにゲームソフトウエア開発・販売を許諾する)形式にし、ゲームソフトメーカからのライセンス収入を見込むことでゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売することができ、それによりゲーム機所有者数が増えることでゲームソフトメーカも恩恵を得ることができた。

1980年代後半には、パソコンの性能向上速度が加速し最新機種が入れ替えられていったために、ゲームに対するパソコンのプラットフォーム性が失われた一方、相対的に機種変更頻度が少ないゲーム機はそのプラットフォーム性が高まった。パソコンやゲーム機などで、単一の機種が長期的に基本性能が変わらないまま販売され続ける(商品寿命が長い)と、その機種はひとつのプラットフォームとして認識され、その機種で他機種用のゲームを遊べるよう多くのソフトウェアが製作された(いわゆる移植)。「プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェア」という手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)ではさらにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められるようになり、ゲーム機専用のプロセッサ類が設計されるようになった。それまでのゲーム機は、パソコン用チップや汎用製品を流用したものが多かったが、この時代になるとゲーム機はゲーム用途としてはパソコンをはるかに凌ぐ性能を持つとのイメージが確立された。また、他のハードウエア形態と遜色がない十分な性能をもつ CPU とグラフィック表示装置を備えるカートリッジ交換型の「携帯型ゲーム機」がこの頃に発売され、人気を得るようになった。

なお、2000年代以降のゲーム機では再び据置機(テレビゲーム機)・携帯機・アーケードゲーム・パソコンゲームの区別が曖昧となるが、下記で詳しく述べる。

略史

ゲームハードの世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」(en:Video game console を参照)にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」[注 2]等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。

マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態がある[注 3]ものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の二つに分類している。

世代については、英語版ウィキペディアが「First generation」から「Eighth generation」まで分類しているためそれに沿っているが、おそらく独自研究であり、ここで見られる世代分けは日本のゲーム研究等ではあまり見られず、また英語による資料においても異同が見られる[7][8]

据置機

ゲーミングPCは対象外です[9]

第1世代

1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。

1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小までおびただしい数の玩具メーカーからリリースされた。日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。

ポンクローン

ブレイクアウトクローン

その他

第2世代

1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。

1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった[10]。マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey²を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北米では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、欧州ではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした[6]。Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南米などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。

第3世代

1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。

アタリショック後、北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北米ではコモドール64が、欧州ではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。特に任天堂ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担った。1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され大成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。

ゲームパソコン

第4世代

1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。

従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が格段にアップした。ステレオサウンドが標準になり、表現も工夫された。ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりコストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROM2[11]が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。

主なハードは、PCエンジンメガドライブスーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。一方の北米市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた[12]

アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000FM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。

第5世代

1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。

この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量が大きくさらに生産性が高いため、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴いゲームの規模は拡大し、副次的にも音質の向上やムービー再生による演出が広がるなどのメリットがあった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が劇的に広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。

この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント〈SIE〉)のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。また、北米では米セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北米では成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。

北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。

第6世代

1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。

3Dグラフィックスの表現力が格段に上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPS2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど、非常に不振であった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。

パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。

第7世代

2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。

任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、ハイデフィニション (HD) に対応したPS3Xbox 360PlayStation MoveKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビデファクトともいわれた[13]

ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく普及に時間がかからず、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップなったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった[14]

南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。

第8世代

2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。

Wii Uが2012年11月、PS4Xbox Oneが2013年11月で、共に北米地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。3機種全てで北米地域での発売が優先されている[15][16][17][18]

2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ[19]。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。

Gaikai/OnLive/PlayStation NowMicrosoft AzureAmazon Web Services[20]のように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDGクラスタ/Ubitus[21][22]などはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた[23])。

コンシューマーゲーム

マイクロコンソール

クラウドゲーム

Android搭載

第9世代

2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。

任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売[24]。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また2019年9月にNintendo Switchの携帯専用機、および廉価版としての位置付けでNintendo Switch Liteも発売された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。さらに、SIEはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/S2020年11月にそれぞれ発売している。

この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった[25]。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、Playstation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生[26]、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている[27]

この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、GoogleアップルAmazonFacebookNVIDIAが参入した。

コンシューマーゲーム機

クラウドゲーム機・サービス

第1世代(携帯機)

1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。

据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。

電子ゲーム

  • Mattel Auto Race(マテル、1976年)
  • Mattel Football(マテル、1977年)

第2世代(携帯機)

1980年代前半 - 中盤に当たる。

1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後に据置機の主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。任天堂、バンダイ、トミー、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的にはまたしても失敗に終わった。

電子ゲーム

第3世代(携帯機)

1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。

ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもあった。

電子ゲーム

第4世代(携帯機)

1990年代中盤 - 後半に当たる。

スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。

据置機の外部記憶媒体

電子ゲーム

第5世代(携帯機)

1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。

反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。

第6世代(携帯機)

2000年代中盤 - 末に当たる。

DSPSPによって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはネットへのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクション[34]や、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。PSPは日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。

第7世代(携帯機)

2010年代初頭 - 後半に当たる。

3DSPS VitaはカメラによるARコミュニケーションソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIATegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。スマートフォン/タブレットといったスマートデバイスOSにゲームを意識した機能が盛り込まれた[35]。2008年にアップルiPhone OS(現・iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp Store[36]GoogleGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。

Android搭載

第8世代(携帯機)


2010年代後半以降を、この記事では「第8世代」とする。 SIEが携帯ゲーム機から撤退し、任天堂も据置・携帯両対応のNintendo Switchを出すことで厳密な意味での携帯ゲーム機が出されなくなった中、新たにPanic Inc.Playdateを発表した。

最も売れたゲーム機

立体映像対応のゲーム機

1980年代トミーから、立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)[37][38][39][40][41]

任天堂からは1987年ファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された[42][43][44]

1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。2006年11月に発売されたPlayStation 32010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し[45]、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。

復刻系ゲーム機

据置機

携帯機

脚注

注釈

  1. 4ビットまたは8ビットだからというようなアーキテクチャ的な理由ではない。
  2. なお、近年ではインターネットにより、英語圏との情報流通が密になったため、「ゲームコンソール」という表現が日本語圏で見られることも多くなっている。
  3. 例えばパソコンにおけるラップトップ機に近かった形態のPCエンジンLTなど。

出典

  1. ゲーム機とは - IT用語辞典バイナリ”. 2014年4月8日閲覧。
  2. ゲーム白書2009に見る、ゲーム機市場の大転換期~急増するゲームコンテンツのダウンロード
  3. 「ゲーム機が無くなる日」を示唆したゲーム白書、「50代のゲーム利用増加」を裏付けたCESA報告書
  4. J. M. Graetz (1981), “The Origin of Spacewar”, Creative Computing (August, 1981), http://www.wheels.org/spacewar/creative/SpacewarOrigin.html
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  44. AGH Jaguar Review: MISSILE COMMAND 3-D
  45. 【西田宗千佳のRandomTracking】3D対応したPS3 Ver.3.30の狙いとこれから - AV Watch

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