エジプト暦

エジプト暦(エジプトれき、英語:Egyptian calendar)は、紀元前2900年頃から古代エジプトで使用されていた暦法太陽暦)である[1][2][3]。太陽暦で、1ヶ月を30日、1年を12ヶ月と5日(年末の余日)の、合計365日(一暦年)とした[2]。暦法が世界各地で発生した古代において、それらの多くは太陰暦法であったと言われているのに対し、エジプトでは太陽暦法であった[4]

概要

古代エジプトにおいて、は、人々の生活ないし人間の行為の宗教的な意味付けに、重要な役割があった[5]。エジプトではが降らないため、生命はすべて「ナイルの賜」とされている[3]。すなわち、古代エジプト人にとっては、定期的なナイル川の増水・氾濫による洪水が最大の関心事だったのである[3]

古代エジプト人は、1年を太陽の運行に必要な周期とは考えずに、彼らが自分達の農業生産物を得るために必要な期間と見なした[3]。そのため、農業との関係が強いナイル川が増水する時期を、恒星シリウスおおいぬ座α星)が日の出の前に初めて出現する時によって予測するようになった[5]

ヘリオポリスメンフィスなどでは、7月下旬からナイル川が増水し始め、これとほぼ同時に、シリウスが日の出の直前に東天に昇って出現(ヘリアカル・ライジング)する光景が見られたという[4][3]。すなわち、エジプトではシリウスが昇るころの一定時期に、ナイル川が氾濫して農業や生活に大きな影響が及ぼされていたのである。

そのため、シリウスの日の出直前の出現を予知する必要があり、洪水と洪水との間を1年の単位とし、365.25日と数えた[5][4][6]

また、グノモンという柱を使用した、太陽による観測法も行われており、これらの基礎のうえに太陽暦が使用され始めた[5]。これは紀元前4241(一説には紀元前2781)年頃に成立[5]。年始は7月中旬からとされた[5]

当初は1年を12か月、1か月を30日、1年を360日としていたが、紀元前20世紀ごろから365日の移動年(年始は年ごとに移動)とし、30日ずつある12の月に、余日として5日を最後に付加する太陽暦法であった[4]。この余日は、オシリスホルスセトイシスネフテュスの5神の誕生日をそれぞれ祭日としたものである。

前述の、シリウスが出現する日は「元旦」とされた。以上のような歴史的背景から、1年はシリウス年とも呼ばれる。

そしてこの1年は、「シャイト(洪水)」「ピリト(種蒔)」「シェムウ(収穫)」の3つの季節に分けられ、それぞれの季節は4ヶ月となった[4]

ただしこのエジプト暦においては、前述の通り年は移動年であるから、季節には次第にずれが生じる。1461暦年は、1460シリウス年でもあり、季節は1461移動年で元に戻る。この周期はシリウス周期と呼ばれる[4]紀元前238年プトレマイオス3世は4年ごとに歳末に1日を追加し、いわゆる現在の「閏年」を設けるよう、法令を出したが、すぐには実施されず、実際に行われたのは、ローマ時代ユリウス暦が制定されたときからであった[5][4]

ちなみに、古代エジプト人の子孫であるコプト人が使用していたコプト暦は、エジプトと同様の太陽暦であり、エチオピアにおいても使用された[4]

参考文献

  1. 大辞林 第三版
  2. デジタル大辞泉
  3. 世界大百科事典 第2版
  4. 日本大百科全書(ニッポニカ)「エジプト暦
  5. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  6. 古代エジプト暦”. wiki.suikawiki.org. 2020年9月19日閲覧。
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